ルドルフ・シュタイナー



ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner 1861-1925年) 旧オーストリア帝国出身の神秘思想家、哲学博士 ウィーン工科大学で物理学や数学などを学んだのち、ワイマール版ゲーテ全集・自然科学編の編集委員として活躍 20世紀に入ると同時に、ロシアの神秘思想家 H・ブラヴァツキーの創始した神智学運動に加わり、1912年、アントロポゾフィー(人智学)協会を設立 独自の精神科学に基づいて、哲学・思想・教育・医学・農業・建築・芸術・社会論などの分野に業績を残した

生涯
ルドルフ・シュタイナーは今から約150年前の1861年に、西欧と東欧の狭間に位置するクラリエヴェックという小さな町で生まれました。彼の亡くなった年は、日本では年号が昭和に代わる一年前の1925年 なので、彼は明治時代の少し前から大正時代の終わりまで生きていたことになります。

シュタイナーは、二十代でドイツの詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの自然観に関する研究を始め、三十代になると『自由の哲学』という書物にも代表されるように、哲学者としても活動するようになりました。しかし、20世紀に入るとシュタイナーは現在のドイツの首都であるベルリンで、神智学協会という神秘思想家の集まりの中で講義活動をするようになり、1902年には神智学協会ドイツ支部の事務総長に就任します。四十代で哲学者から神秘思想家へと転身を果たしたシュタイナーは、1904年に『神智学』、1904/05年に『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』、そして1910年には『神秘学概論』 と、自らの思想である「アントロポゾフィー」の根幹をなす主著を発表します。

以上の著作を以ってアントロポゾフィーは学問としての強固な地盤を手にし、ルドルフ・シュタイナーの活動は芸術的な分野へと広がってゆきます。『神秘学概論』が出版された年の夏、シュタイナーは自らが書き下ろした戯曲『神秘劇』をミュンヘンにて上演します。そして、それから毎年夏に新たな台本が書き上げられ、『神秘劇』の続編が上演されるという劇作活動が、第一次世界大戦が始まるまで四年間続きました。現在、日本でもよく知られているオイリュトミーという全く新しい運動芸術が生み出されたのも、この演劇活動の中からでした。そして、この『神秘劇』を上演するに相応しい劇場空間として、1913年からスイスのバーゼル近郊の都市ドルナッハでゲーテアヌムという劇場建築の建設が始まりました。この建築物は、天井は絵画で埋め尽くされ、柱や梁や壁の全ては彫刻として彫られており、鮮やかな色硝子があるという総合芸術作品で、それは同時に理念であり思想であるアントロポゾフィーを、「目に見えるかたち」にしたものでもありました。このゲーテアヌムは――その周辺に建てられた十二の付属建築と共に――後 に「シュタイナー建築」と呼ばれるものの萌芽となりました。

第一次世界大戦の最中、シュタイナーの内に宿った「社会有機体の三部構成化」という理念は、 終戦を契機に現実的な活動へと発達していきます。そんな中、1919年の秋に南ドイツの工業都市シュトゥットゥガルトに世界最初の自由ヴァルドルフ学校が創立され、そこから現在でも続くヴァルドルフ教育運動が始まりました。そして、アントロポゾフィー的な人間認識に基づいた新たな医療実践も始まり、霊的な認識が次々と一般社会の中で活かされてゆく中、完成間近であったゲーテアヌムが、1922年の大晦日に、放火によって焼失してしまいました。アントロポゾフィーの「目に見える姿」であり、「住まい」であるゲーテアヌムを失ったという事実を、シュタイナーは「単なる火難」とは理解しませんでした。シュタイナーはゲーテアヌム焼失という事実を見て、アントロポゾフィー協会の立て直しが急務であると認識したのです。

1902年に創立された神智学協会ドイツ支部の会員は120名ほどでしたが、その十年後の1912 年に創立されたアントロポゾフィー協会を経て、ゲーテアヌム焼失の1922年当時にアントロポゾフィー運動に関わる人間は、二十年前の100倍近くにまで急速に拡大していました。急激に会員が増えたことと活動地域がドイツの数都市からヨーロッパ全土に広がったこと、更にはアントロポゾフィーに基づいた社会実践の組織が次々と設立されたことで、それまで中心的な活動をしていた人員が徐々に協会の外 へと向かったことなどから、アントロポゾフィー協会は根本的な組織改革を迫られていました。シュタイナー は1923年からヨーロッパ各国に独立した邦域協会を設立し、同年のクリスマス期に普遍アントロポゾフィー協会を設立しました。

同協会の創立理事会の理事長に就任したシュタイナーは、協会の「心臓部」としての精神科学自由大学の構築を始め、現在に見られるようなコンクリート建築、通称「第二ゲーテアヌム」の模型を制作します。またバイオ=ダイナミック農業や、治療教育がシュタイナーの指導によって始まったのも、丁度この時期です。しかし、シュタイナーは理事長就任から僅か九ヶ月後に病床に伏し、それから約半年後の1925年3月30日にこの世を去りました。

ルドルフ・シュタイナーの学問的業績は350巻に及ぶルドルフ・シュタイナー全集として出版され、彼が生涯を捧げたアントロポゾフィー運動は現在、全世界に約50,000名の会員を抱える普遍アントロポゾフィー協会と、10,000を超えるアントロポゾフィー関連施設の礎を築きました。

年表
>> 少年時代ウィーン以南のオーストリア各地 1861-79 0~18歳
1861  2月27日にオーストリア=ハンガリー帝国の国境近くの町クラリエヴェクにて誕生 両親はともに南部オーストリア出身で、父ヨハンがオーストリア帝国南部鉄道の鉄道員(公務員)であったことにより、家族は何度も転居を繰り返すことになる ルドルフは、シュタイナー家の第一子で、1864 年には妹のレオポルディーネが、また1866年には弟のグスタフが生まれた
1872  ウィーナー・ノイシュタットにある実業学校に入学 11歳
1879  「優秀」の成績で実業学校の卒業試験に合格し、大学入学資格(アビトゥーア)を取得 18歳

>> ウィーン時代大学でのゲーテ研究 1879-90 18~29歳
1879  ウィーン工科大学に入学 専攻は:数学・物理学・植物学・動物学・化学で、副専攻は:文芸学・歴史・哲学  18歳
1882  現存する最初の執筆活動 論文『原子論的概念に対する唯一可能な批判』は、 美学者フリードリッヒ・テオドール・フィッシャーに送られる。 21歳
1882-97  出版家ヨーゼフ・キルシュナーによる『ドイツ国民文学』の中で『ゲーテの自然科学論考文集』GA1a-e を編纂 この仕事には14年の歳月を要し、1897年に全五巻で完成する シュタイナーによる序文は後に纏められ『ゲーテの自然科学論文集へ宛てた序文』GA1 というタイトルで1925年に改めて出版される
1884-90  ウィーンの商人の家で家庭教師としての副業を開始する  1886年 ゲーテ作品の「ソフィー版」での共同出版に招聘される 10月には『ゲーテの自然科学論考文集』の副読本として、処女作となる『ゲーテ的世界観の認識要綱』GA2が出版される 25歳
1888  1月から7月に掛けて『ドイツ週報誌』の編集(そこでの記事はGA31に収録) ヴァイマールの「ゲーテ協会」にて『新たな美学の父としてのゲーテ』GA30 という題名で講義  27歳

>> ヴァイマール時代 1890-97 29~36歳
1890-97  1890年秋にヴァイマールへ転居し、ゲーテ=シラー遺稿保管局で「ゾフィー版」ゲーテ全集に於いて、ゲーテの自然科学論考文集の出版に携わる
1891  ロストック大学で『認識論の根本問題―特にフィヒテの知識学を考慮して』と題する論文で哲学博士の学位を取得する 論文は翌1892年に加筆・訂正されて『真理と学問』GA3 というタイトルで出版される 30歳
1894  11月、哲学的主著『自由の哲学』GA4が出版される 33歳
1895  5月『フリードリッヒ・ニーチェ 時代の闘士』GA5 を出版 34歳
1897  22歳の時から14年間続いた『ゲーテの自然科学論考文集』の編纂を終えて、ゲーテ=シラー遺稿保管局」を退職 ベルリンへ転居 7月、ゲーテ研究の集大成とも言える『ゲーテの世界観』GA6を出版 オットー・エーリッヒ・ハルトレーベンと共に『文芸雑誌』を創刊(そこでの記事はGA29- 32に収録)「自由文芸協会」、「自由演劇協会」、「ジョルダーノ・ブルーノ同盟」などにて活動 36歳

>> 神智学協会 ベルリン 1897-1910 36~49歳
1899-1904  1月13日からヴィルヘルム・リープクネヒトに依って設立された労働者のための教養学校で授業(歴史・弁論術・文芸・自然科学など)を始め、この仕事は1904 年まで続く この学校はやや社会主義的な色あいを持った教育施設であった
1990/01  この年に出版された『十九世紀の世界観と人生観』は、1914年に加筆・修正され『哲学の謎』GA18 として出版される ベルリンの神智学協会の招待を受け、アントロポゾフィーの講義活動を始める 『近世的精神生活の黎明における神秘主義と近代的世界観とその関係性』GA7の出版
1902-12  この時期に、アントロポゾフィーが確立されてゆく  ベルリンでは定期的な公開講演が開かれ、講義の為に各地へ飛び回る範囲は徐々に広がり、やがてヨーロッパ全土にまで広がる マリー・フォン・ズィーヴェルス は常に秘書として同行し、1914には結婚しマリー・シュタイナーとなる
1902  1月17日に神智学協会の会員になる 9月『神秘的な事実としてのキリスト教と古代の秘儀』GA8が出版される 10月19日、神智学協会ドイツ支部を設立し、事務総長に就任 41歳
1903  年頭にゼー通り40番に転居 42歳、3月から「建築家の家」という会場にて公開講義を開始し、この活動は1918年まで続く 5月、月刊雑誌『ルシファー』創刊し、出版にあたる(そこでの記事はGA34 に収録)この雑誌は翌年にウィーンの雑誌『グノーシス』と合併し『ルシファー=グノー シス』となる
1904  5月に自身の思想を初めて総体的に表現した『神智学』GA9が出版される 43歳
1904/05  『如何にすれば、より高次の世界の認識に達するのか』GA10 『アカシャ年代記より』GA11 『高次認識の階梯』GA12
1910  初頭、アントロポゾフィーの主著となる『神秘学概論』GA13 を出版 49歳

>> 芸術衝動:『神秘劇』 オイリュトミー ゲーテアヌム 1910-1916 49~55歳
1910-13  ミュンヘンにて、毎年夏に『神秘劇』が上演される
1910  第一部『秘儀参入の門』
1911  第二部『魂の試練』
1912  第三部『境域の守護者』
1913  第四部『魂の覚醒』 これ以降、シュタイナーの活動は・建築・彫刻・絵画・音楽・言語芸術・オイリュトミー などの芸術分野に及ぶ
1911  『一個人と人類全体の霊的な導き』GA15 50歳
1912  『アントロポゾフィーの魂の暦』、『自己認識へ至る人間の道』GA16 12月28日、ケルンにてアントロポゾフィー協会が設立される 51歳
1913  2月3日、ベルリンにてアントロポゾフィー協会第一回総会が開催され、神智学協会 と袂を分かつ 『霊的世界への境域』GA17 52歳
1913-22  1913年9月20日にドルナッハにてゲーテアヌムの定礎式が執り行われ、建築が始まる 建築作業は1922年大晦日の火災で焼失するまで続いた 
1914  7月28日、第一次世界大戦勃発 12月24日マリー・フォン・ズィーフェルスと再婚 『哲学の謎』GA18出版 53歳
1916-18  『人間の謎より』GA20 『魂の謎より』GA21 『ゲーテの精神の特性』GA22

>> 終戦 社会運動 ヴァルドルフ学校 協会再建 1917-1923 56~62歳
1918  11月11日、第一次世界大戦終結 57歳
1919  特に南ドイツの地域を中心に、論文や講義などで「社会有機体の三部構成化」の思想を発表する 『社会問題の核心』GA23 『社会有機体の三部構成化に関する論文集』GA24 9月7日、シュトゥットゥガルトに「自由ヴァルドルフ学校」を開校 ルドルフ・シュタイナーは 自らの死まで学校経営に携わる 58歳
1920  アントロポゾフィーの「大学講座」が始まる ゲーテアヌムは未だ完成していなかったが9月26日に開館され、そこが大学講座の会場となる 以降ゲーテアヌムは定期的な芸術講座や講義の会場として使われるようになる 59歳
1921  2月、月刊誌『ディ・ドライ』を創刊 60歳 8月、週刊誌『ダス・ゲーテアヌム』を創刊 ルドルフ・シュタイナーはこの誌上で定期的に記事を書いた(そこでの記事はGA36に収録)
1922  『宇宙論・宗教・哲学』GA25 12月31日午後十時、木造のゲーテアヌムが放火によって炎上し、翌朝焼失 一年後に同じ土地にコンクリートによる建築物、いわゆる「第二ゲーテアヌム」の建設が始まる(完成は四年後の1928年) 61歳
1923  週刊誌『ダス・ゲーテアヌム』で自伝『我が生涯の歩み』GA28の連載が始まる しかし 二年後の自身の死によって連載は中断 自叙伝は未完に終わる クリスマス期に、それまでのアントロポゾフィー協会を刷新して普遍アントロポゾフィー協会が設立される 協会本部はゲーテアヌムに置かれ、シュタイナーは自らが理事長として協会運営の最高責任者となる 62歳

>> 晩年 1924-1925 63~64歳
1924  1月、新たなゲーテアヌム再建の構想を発表する 63歳 アントロポゾフィー協会の「報告誌」を創刊し、毎週紙面を通して会員へ呼びかける 2月アントロポゾフィー協会の「心臓部」たる精神科学自由大学の第一階級講座 (通称:クラッセン・シュトゥンデ)を開講する この講座は後に第二階級、第三階級と設立される予定であったが、自身の死によって中断された 3月、「新しいゲーテアヌム」の1/100 スケールの模型を粘土で製作 この僅か五週間後には、模型を元に図面が引かれていた 6月、コーバーヴィッツで、いわゆる「農業講座」が開かれバイオ=ダイナミック農業の 基礎が築かれる 9月28日、午後8時からの講演を20分で中断し、病床に就く
1925  3月30日午前10時頃死去 4月1日夜に葬儀が執り行われる 64歳


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