2017年4月7日金曜日

第四部:統一的な中世と分裂した現代


パブロ・ピカソ『ゲルニカ』1937年




先日SAKS-BOOKSから発売された『アントロポゾフィー協会と精神科学自由大学』ヨハネス・キュール, ヨハネス・グライナー(共著)竹下哲生(編訳)。その中で、個と社会との関係性(対立)を論じるために、デザインとアートの関係性(対立)についても触れられた。本対談では、前掲書の編訳を行ったShikoku Anthroposophie-Kreis代表の竹下哲生と、ブックデザインの担当をしたArt Director / Designerの髙橋祐太が、主に西洋芸術史を基にデザインとアートという対立について考え、それを軸に現代日本の社会問題についても考えていく。


竹下:これまでの話をまとめると、アートというのは中世的な精神からの解放だと理解することが出来ます。それまでは社会的な関係性の中で作品を創造していた「職人」が――その創作の源泉を個人の内面に移行することで――「アーティスト」として社会から徐々に独立してきます。そして中世の職人が「伝統」に従って作品を生み出していたのに対して、アーティストは自らの「個性」を拠り所にします。伝統というのは、いわば社会の所有物ですが、個性の所有者は言うまでもなく個人なのです。

ところが、この様に「社会」から独立した「個人」も、再び何らかの形で社会との接点を見出さなければなりません。何故ならば、そうしなければアーティストは自分の仕事を「お金に変える」ことが出来ないからです。念の為に言っておくと、僕が「お金」という表現を使う場合、それは凡そ「社会との接点」という概念を意図しています。詰まり「お金」というのは、全く「社会的なもの」だということです。そういった意味で「お金になる仕事」というのは、端的に言って「社会的に『仕事』として認知されている仕事」ということが言いたいのであって、その仕事の客観的な価値について述べている訳ではないのです。

言うまでもなく、食べていく為の「仕事」は別にして、アートは飽くまでも「趣味」であるという考え方もあるでしょう。しかし例え「純粋な趣味」であっても、出来上がった作品を誰かに見せたくなるのが人情というものです。その場合は確かにお金は発生しないのでしょうけど、それでも「個人が社会との新たな接点を模索する」という意味においては結局のところ同じなのです。丁度、就職して結婚もして親から独立した人間が再び自分の両親との良好な関係を模索する様に、アーティストは何らかの形で「中世的ではない社会」との接点を探し求めることになります。そして、その答えのひとつが「ファン」であるということは、既にお話しした通りです。

これに対してデザイナーというのは、最初から社会との接点を持っています。何故ならデザイナーはアーティストの様に、個人の衝動に基づいて何かを創造するのではなく、クライアントから依頼を受けて仕事を始めるからです。ですから「食えないアーティスト」は山ほどいても「食えないデザイナー」は有り得ないというのが僕の考えなのですが、実際は意外とそうでもないことは知っています。

そしてアートが「中世からの解放」であるのに対して、デザインというのは「近代の補完」だと言えるでしょう。詰まり人類が近代化によって、いわば「失ってしまったもの」を探すのが、デザイナーの仕事なのです。勿論そこで見つかるものは、失った時と同じ姿はしていません。また既に述べた様に「最初から最後まで人間が関与しているもの」にデザインは必要ありません。だからこそ生産のプロセスに、機械などの「人間ではないもの」が介入することでデザインの必要性は生まれます。

そういった意味でデザインの問題というのは基本的に、同じものが大量に複製(コピー)される時に発生します。同じ自動車が何千台も製造されたり、或いはひとりの作家が書いた小説が何百万部も印刷されたり、またネットにアップされた動画が何億回も再生される時に、デザイナーは求められるのです。

この様にデザインでは同じものが無数に複製されますが、逆にアートの特性は「オンリーワン」だと言えます。デザイナーは巨大な市場(マーケット)に向き合いますが、アーティストが向き合うべきは自分の内面世界だけで充分なのです。デザイナーは常にユーザーに「伝える」ことを考えていますが、アーティストはいかに自分が「表現」出来るかだけを考えています。よってアートは主観的であって全く構わないのですが、客観性のないデザインというのはハナシになりません。アートは行き当たりバッタリの創作活動の中で、何処かに漂着すればそれが「ゴール」なのですが、デザインに於いては最初からゴールが決まっています。そしてデザイナーは様々な制約の中で仕事をしますがアーティストの仕事は、そういう社会の「枠組み」そのものを壊すことでもあるのです。

端的に言ってアーティストは「散らかし」て、デザイナーは「片付け」ます。これは一般に問題提起と問題解決と言われているのですが、兎に角デザインとアートというのは本当に何から何まで正反対です。そして既に述べて来たように、これら二つは起源も歴史的な発展も全く違う、本当に似ても似つかない概念なのです。そういった意味でデザインとアートについて考えるということは「サッカーとカレーライスのどちらが素晴らしいのか」を議論するくらい、意味不明のことなのです。

ところが興味深いことに19世紀の半ばを過ぎたあたりから、この全くの赤の他人であった筈の両者が、急激に近づき始めるのです。そして20世紀が始まる頃には、既にアートとデザインは交差していたと考えられます。例えばアール・ヌーヴォーはアートの歴史で扱われるべきなのでしょうか、それともデザインの歴史の1ページとして分類されるものなのでしょうか。もう、よく分かりませんよね。

因みに僕はアール・ヌーヴォーは、どう考えてもデザインの歴史に分類するべきだと考えているのですが、それでもクリムトは矢張りアーティストなんですよ。何にせよ重要なことは、そもそも人類は19世紀になってようやく「デザイン」というものを意識し始めたのに、20世紀が始まる頃には既にアートと殆ど区別がつかないくらいまで接近しているという事実です。



グスタフ・クリムト『接吻』1908年


そして、このアートとデザインが混在しているという状況は、結局20世紀の間ずっと続きます。そして21世紀を生きている現代の人間の殆どは、この時代に生まれたのです。詰まり縁もゆかりも無い筈のアートとデザインが、何故だか瓜二つで区別が付かないという奇妙な状況は、現代を生きる我々にとっては全く当然のことなのです。そして、この「他人の空似」を多くの人が意識する様になったのは、恐らく21世紀に入ってからのことだろう、というのが僕の考えなのです。

僕は最初に、アートとデザインを対極のものとして考える問題意識は、生まれてから未だ「50年も経っていない」と述べましたが、それは20世紀の中葉の時点では未だ、アートとデザインの混在は今ほど顕著ではなかったという意味ではなく、その時点では未だ「問題が問題として意識されていなかった」ということなのです。それは紀元前のローマ人がポン・デュ・ガールを作っていたことが、デザインの歴史を論じる上で本質的な意味を持たないことと似ています。詰まり重要なことは「どの時点で特定の状況が発生したのか」ではなく、それを「どの時点で問題として認識する様になったのか」ということなのです。

そこで僕は「こういう問題は21世紀になってようやく意識され始めた」と、最初にザックリ言いたかったのです。例えば先日テレビで「美大生が選んだスゴイ芸術家ベスト30」というのをやっていたのですが、そのランキングにミュシャが入っていたんですよ。それは僕にとって、物凄い違和感でしたね。別に僕がミュシャを評価していないとかそういうことではなくて、それは言ってみれば千疋屋で魚が売られている様なものだということです。

確かに概念だけ見れば、果物も魚もどちらも「食べ物」ですから、同じ店で売られているということも有り得るでしょう。でも魚の生臭さのせいで、フルーツの魅力が減ってしまうことは、不思議と気にならないんですね。詰まりミュシャはアーティストではなくてデザイナーではないかという疑問は、現代でも殆どの視聴者が持たないだろうということです。念の為に言っておきますが、僕は別にミュシャを「生臭い」と思っている訳ではないですからね。



アルフォンス・ミュシャ『JOB社の煙草』1896年


ところが逆に、いわゆる「業界」に居る人は、そんなことはずっと昔から当然のこととして意識しているんです。それは僕が高校生の時なのですが、美術の先生に天野喜孝さんの話をしたことが有るんですね。丁度その頃は香川でも「天野喜孝展」みたいなのをやってて、同じ会場には噂のラッセンも来ていたような気がします。多分、絵も人も。それでテレビとかでも宣伝していたので、先生も当然知っているだろうと思って僕は話した訳です。

ところが、その先生はそんな「画家」は聞いたことがないって言うんですね。でも僕は、その先生は単に絵を描いた人の「名前」を知らないだけで、作品を見れば直ぐに分かりますよって言ったんです。それで後日何かの機会に天野喜孝さんの絵を見せたら先生は笑い出して、ああイラストレータさんなんですねと言ったんです。詰まり先生は自分は美術の教師として現代の「画家」を知らないことは問題かも知れないけれど、イラストレータのことなんか別に知らなくて当然だよと言いたかったのだと思います。

確か、その先生は僕が二年に上がる時に定年退職されたので、恐らく1930年代に生まれた方だと思います。その世代の人でも、画家はアーティストだけどイラストレータはデザイナーということは明確に意識していたんですね。ところが、それよりも半世紀後の世代の人なのに、アートとデザインの区別を意識していないことも珍しくありません。それは専門学校か美大でイラストレーションの勉強をしていた人なのですが、その人は何か自分の内面から「湧き上がってくるもの」を絵画で表現したいと思っていたんです。ところが、そのことを学友に話してみると「別に表現したいものがある訳じゃない」って皆に言われてビックリするんです。多分、向こうもビックリしたと思いますよ。それはピアノ科に入学した人が「私はヴァイオリンが上手くなりたい」って言っているようなものですから。

詰まりデザインとアートの違いというのは――21世紀に於いても未だ――誰もが「当然のこと」として明確に意識している訳ではないということです。そもそも「デザイン」という言葉が今のような意味で使われるようになったのも、本当に最近のことなのです。確かに19世紀の時点では既に「今で言うところのデザイン」的な活動はいくらでもあったのですけど、それをアートとの対比に於いて「デザイン」と呼ぶことは未だなかったと思います。

何故ならアール・ヌーヴォーの「アール」は、そもそも「アート」ということですから。そうすると現代の意味でのデザインという概念はバウハウスあたりから使われ始めたのかなと予想してしまうのですが、その時点では既にデュシャンの『泉』は出来ていましたからね。詰まり、この時点でアートとデザインは単に「接近」しているだけではなくて、既に「交差」してしまっているということなのです。

こういう歴史的な感覚を得る為に、徳島県の大塚国際美術館はオススメですね。何しろ、そこには文字通り古今東西の美術品の複製が、年代順で並べられているわけですから。そこは地下三階から入って古代・中世、ルネサンス・バロック、そして近代へと順番に上の階に上がっていく訳ですが、地下一階くらいまで行くと印象派とかが飾ってあって、もうそれよりも上の階に行く必要が無いなっていうことが分かります。何故ならば、その時代まで行くと僕らが通常「絵画作品」として認識しているものが出来上がるからです。

古代の絵画というのは、必ず建築の一要素でした。ですからモザイクであってもフレスコであっても、絵画が絵画として「切り取られる」ことはなく、常に壁に貼り付いていて動かすことが出来なくて、更に言うとその建物自体も特定の土地に建てられていて、そこまで人間が歩いて行かなければならなかった訳です。確かに祭壇画くらいになれば、それを教会から動かして来て美術館に飾る、ということは可能でしょう。しかし、そうやって場所は移動できるかもしれませんが、それが祭壇画である以上、祈りという特定の「目的」と結びついていることは否定できません。

これも最初に話したアートの歴史と同様に(第一回)、最初は固定されていたものが、時の流れの中で段階的に流動的になっていくんですね。次の段階では宗教的な「目的」は消えるけれども、パトロンのエゴなのか暫くの間は随分と巨大な絵が描かれます。レンブラントの『夜警』なんか、そうですね。そして19世紀の後半くらいになって、ようやく普通の家で飾れるくらいの大きさの絵が描かれます。それが、さっき言った印象派です。これは当時の画家が、カンバスを携えて自然光の下へと出ていったこととも関係していると思うのですが、そのことは四年前に既に書いていますので割愛します。



レンブラント・ファン・レイン『夜警』1642年


本質的な問題は19世紀後半の時点で、絵画は既に「リビングのインテリア」に成り下がってしまっているという事実です。別の表現を使うならば、それはもう「美術館で鑑賞するもの」ではないということです。そして20世紀に入ると、これが「メディアに載る」という段階へと移行します。詰まり現代美術というのは教会や美術館に「詣でて」恭しく鑑賞するものでもなければ、はたまたインテリアとして自宅の壁に飾るものでもなくて、雑誌やテレビなどのメディアに取り上げられて「消費される」ものだということです。

そうやって考えるとピカソやミロなんかは、そんな20世紀のアートシーンの中で、それなりに「上手くやっていた」んだなと感心しますね。詰まり彼らは伝統的な意味での「絵画」の概念から大幅に逸脱することなく、尚且つ19世紀までには存在していなかった新しいものを創造しているということです。また、そういった意味ではパウル・クレーも素晴らしいと思うのですが、彼は終戦前に亡くなっているんです。これは全く僕の主観なのですが1945年以降も生きていた人は「こちら側」に居て、それ以前に人生が終わっている人は「向こう側」に居る気がします。これは後から話す19世紀の前半と後半が決定的に違うことと、良く似ています。

そういった意味で僕は、大塚国際美術館の地上一階よりも上で何が展示されているのか、全く興味が持てません。何故ならば、それがリキテンスタインであれウォーホルであれキース・ヘリングであれ、そんなものは「オリジナル」を見る前から全て「既に知っている」からです。いや寧ろ現代美術において「オリジナル」を語ること自体が、既に時代錯誤だと言えるでしょう。何故なら現代美術というのは最初からメディアに載ることを想定して作られているからです。詰まり、そこが「ゴール」であって、作品そのものは未だ通過点に過ぎないということです。



アンディ・ウォーホル『マリリン・モンロー』


そういった意味でウォーホルのマリリンの「オリジナル」に何億円もの値段がつくのは、考えられないくらい愚かなことです。寧ろ価値が有ると見做されるべきなのは、そのウォーホルの作品がメディアに於いてどう取り扱われたのかの方だと思います。詰まり現代人の意識からすれば、赤面するくらいダサい当時の雑誌に「これが現代芸術だ!」みたいな謳い文句で紹介されているウォーホルの特集記事こそが「本物」で、何処かの美術館に収蔵されているシルクスクリーンの方が寧ろ「ニセモノ」だということです。

このロジックは『キャンベル』を見れば 一目瞭然ですよね。だってスーパーに行けば、誰だって「オリジナル」を見ることが出来る訳ですから。まあ日本では、カルディ・コーヒーにしか売っていないかも知れませんが。兎に角、本質的な問題は、アメリカの普通のスーパーで「オリジナル」を売っていても、それをウォーホルがカンバスに描くことで「美術作品」になるように、その出来上がったものをメディアが「どう切り取るか」もまた、矢張り「作品」で有り得るということです。

こうして話は、結局デュシャンの『泉』に戻って来ます。詰まり「既存のデザイン」もまた、切り取り方次第では幾らでも「新しいアート」に成り得るし、それを再びデザイン的なメディアの領域に「戻す」ことも可能だということです。そして、こういう行ったり来たりの中で「モノ」自体が持つ価値が徐々に無くなっていきます。そこで意味が有るのは切り口(コンセプト)だけで、モノ自体はコンセプトを視覚化する道具に過ぎないのです。



マルセル・デュシャン『泉』1927年


そして大塚国際美術館は「西洋美術史のコンセプトを視覚化する」という意味に於いて、全く成功していると言えます。そして入場料の3,240円は、実際にヨーロッパ旅行をすることに比べたら破格の値段です。何しろ展示されている作品のオリジナルを実際に見て回ろうとすれば、かなり大規模なヨーロッパ旅行をしなければなりませんから。そして既に述べた「コンセプトを視覚化する」という意味においては、陶板にプリントされたニセモノなのか、カンバスに描かれた本物なのかは余り意味を持たないのです。

いや寧ろ、現代に於いて贋作(フェイク)と真作を区別すること自体がバカげているとすら言えます。ルーブルでモナ・リザを見てもカーネギー・ホールでウィーン・フィルを聴いても、その人の中で何も起きていなければ全てはニセモノです。外の世界に客観的な価値を探し求めるのは骨董趣味で、僕が話しているのは芸術の本質なのです。


最後に蛇足的な考察として、一般に知られているデザインの歴史的関連性について述べておこうと思います。

既に述べた様に「近代デザイン」の背景には産業革命があり、それ以前には工場制手工業(マニュファクチュア)の時代がありました。それは大体15世紀くらいから始まると言われているのですが、それ以前の生産は職人の手によって行われていたのは言うまでもありません。詰まりデザインを必要とする機械化された生産の「起源」を遡って行くと、結局はアーティストを生んだ中世の職人に辿り着くということなのです。

詰まり僕は先ほどアートとデザインを「似ても似つかない赤の他人」と呼びましたが、歴史的に見ていけば両者は「職人」という同じ親の兄弟なのです。勿論、性格は正反対ですが。どんなに性格が違っても、兄弟ならば運命的に惹かれあって、最後は何処かで「再会」することは、或る意味では当然だと言えるでしょう。しかし僕が敢えてこういう話をしなかったのには、それなりの理由が有ります。何故なら安易な歴史的考察は未来への衝動ではなく、単に過去への憧れ(ノスタルジー)を生むだけだからです。

確かに中世というのは全てが「人間的な」世界でした。全ての労働者は生産の喜びを感じ、また自分が作った製品をお金に変えることで、自分は「世の中の役に立っている」という実感を持つことが出来ました。そして未だマルクス的な意味に於ける「資本家」は存在しなかったので、働く者は賃金闘争も労使交渉をする必要も無かったのです。ですから今で言うところの貧富の格差やワーキングプアの問題なんかも、全く無縁だったのが中世という時代なのです。

こう考えると、中世の職人は近代人が失ってしまった全てを持っている様な気さえしてきますが、これは事実のひとつの側面に過ぎません。確かに中世には、現代人が憧れて止まないものを「既に」持っていたとも言えますが、逆に現代人が今や当然のものとして有しているものが、中世には未だ全く存在しなかったのです。それは端的に言って「精神の自由」と呼べるものなのですが、それが存在しない限りは人間は自らを「自由な個人」として体験することは無いのです。

実際、西洋中世に於いて社会的に「正当な」精神生活を提供するものは、キリスト教会のみでした。そして、それに逆らう者は秩序を乱す「異端者」として、社会的に排除されたのです。詰まり正しいことは常に「外から」与えられ、人間の内面から生じるものは、それと矛盾ない場合にのみ「社会的」だと見做されたのです。しかし冒頭でルネサンス以降の美術史についてお話ししたように、西洋近代史というのは基本的にそういった中世的な状況からの脱却のプロセスだったのです。

それは思想史的に見れば自律的な思考の獲得過程と、その社会的な需要の過程だと言うこともできるでしょう。ですから現代人にとって「自分の頭で考える」ことは全く当然のことですが、中世に於いては自律的に思考をする者は既に「隠れ異端者」だったということなのです。そして僕らは今でも、この葛藤の只中にいます。詰まり自分は自分らしく生きていきたいけど、他者(社会)とも繋がっていきたい、ということです。ですからアーティストはどれだけ個性的な作品を作っても、誰かに認められたいと思っているし、機械という非人間的なものを社会に組み入れても、デザイナーは世界を人間的で美しいものにしていきたいのです。

こういう願望は、日本的な感覚からすれば単なる「ワガママ」に過ぎません。詰まり個性的でありたいのならば皆から仲間外れにされるのは当然だし、機械を使って楽をしたいのならば、自分自身が機械の部品になってしまっても文句は言えないはずだということです。よって現代人は本来ならば二者択一である問題に於いて、無理矢理に両方の選択肢を選ぶことで解決しようとしているのです。

裏を返せば、この理不尽極まりないワガママこそが、現代人であることの「証し」であるとすら言えるのです。確かに二者択一の問題ならば、そのどちらか一方を選択するのが「素直な」人間のやることなのでしょう。しかし、そうやって「諦める」ことは悟りを開いて我執を棄てたのではなく、単に中世の精神に逆戻りしているに過ぎないのです。詰まり本質的な問題は個人か社会かという二者択一ではなく、未来へ向かって現代を生きるか、或いは中世を夢見て懐古主義に陥いるかという二者択一なのです。

そしてアートというものが人類に未来を指し示すものだとするならば、デザインを過去と結びつけて考えることもできます。何故ならデザインというものは、その「共通言語」を探す中で、どうしても「既存のもの」に関わらざるを得ないからです。だからこそ19世紀の末に見られる「デザイン衝動」と呼ぶべきものは、中世的な職人芸の再評価と結びついているのです。それを「アーツ・アンド・クラフツ運動」というのですが、このことに関しては意図的に触れませんでした。

理由は幾つか有るのですが、デザインに関しては門外漢の僕が、ウィリアム・モリスに関する付け焼き刃の知識を披露するよりも、同じ問題をアート的な観点から音楽について論じる方が面白いと思ったからです。そこで僕はピアノの発展とフランツ・リストの生涯についてお話していくことになるのですが、これは主に19世紀の前半でアーツ・アンド・クラフツ運動は後半に属します。詰まり、この半世紀くらいの「ズレ」は、僕の中でも未だ消化しきれていないということです。そして、この話の延長線上に、先ほどお話したデュシャンとバウハウスとの関係性が見えて来ます。詰まり19世紀の最後の四半世紀と、20世紀の最初の四半世紀の「流れ」が掴めたら、現代芸術は凡そクリアに把握できるだろうということです。

何にせよ通常の歴史的な文脈に於いてはアートが伝統的な職人芸のカウンターカルチャーであるのに対して、デザインというの或る意味で「アロウカルチャー」だと言えるでしょう。とは言え、これは僕が勝手に作った言葉なので、辞書を調べても載っていませんよ。そして、このデザインとアートの図式は21世紀に入った現代でも通用します。だからこそ僕はアートの話をする時には歴史的考察から始めたのに、デザインの時には現状把握から始めたのです。何故ならデザインに関して先に歴史的な話をしてしまうと、デザインの「後ろ向き」な傾向ばかりを指し示してしまうことになるからです。

でも僕はアートの話をする時もデザインの話をする時も、どちらに於いても未来との関係性に於いて論じたいんですね。それは僕が今という時代を、常に肯定的に捉えたいからです。確かに、この僅か数百年の間に――何もかもが機械化していく近代的なプロセスの中で――余りにも多くの「人間性」が失われてしまったのは事実です。しかし、それは人類が近代以降に獲得した、新たな人間性の「影の側面」に過ぎません。それでは逆に近代精神の「光の側面」はどうかと言うと、その価値には未だ殆どの人が気付いていないのです。或いは既に気付いている人がいても、それが未だ新し過ぎて未だ「持て余している」のが現状なのです。

だからこそ現代を「生き辛い」と感じている人が、中世世界を或る種の理想郷だと思ってしまう気持ちも理解できます。しかし近代の「光の側面」を正当に評価することができるならば、中世よりも現代の方が素晴らしいと感じるに違いないのです。実際、我々は人類が近代以降に獲得したものの恩恵を、本当にたくさん受けているのですが、それが余りにも当たり前過ぎて、その「有り難さ」には未だ気がついていないんですね。

そして全てを肯定的に捉えるならば、これからのアーティストは単に古いものを否定するだけでは充分ではないし、またデザイナーも単に外から与えられた課題を解決するだけでは充分ではないということになります。それは端的に言ってアートにはデザイン性が求められ、デザインにはアート性が求められるべきだということです。それは未来につながる全く新しい何かの誕生であって、過去に存在した中世的な職人の復活ではないのです。

もし21世紀を20世紀の延長線上で捉えることが出来るならば、それは当然すぎるくらいに当然のことです。これが「歴史的な関連性」として僕が最初に言及しておきたかった、いわば議論の前提となる事柄なのです。


つづく





竹下哲生/Tezuo Takeshita(Shikoku Anthroposophie-Kreis代表)
1981 年香川県生まれ。2000 年渡独。2002 年キリスト者共同体神学校入学。2004年体調不良により学業を中断し帰国。現在自宅で療養しながら四国でアントロポゾフィー活動に参加。共著『親の仕事、教師の仕事〜教育と社会形成〜』訳書『アントロポゾフィー協会と精神科学自由大学』『アトピー性皮膚炎の理解とアントロポゾフィー医療入門』(いずれもSAKS-BOOKS)他。



髙橋祐太/Yuta Takahashi(Art Director / Designer)
日本を拠点に活動するアートディレクター兼デザイナー。ブランディング、グラフィックデザイン、パッケージデザイン、エディトリアルデザイン、ウェブデザイン等を行う。物事の本質に忠実なシンプルで洗練されたデザインが特徴。German Design Award(ドイツ)、A' Design Award(イタリア)など国際アワードを受賞。Shikoku Anthroposophie-Kreis理事。





このエントリーをはてなブックマークに追加
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

1 件のコメント :