2016年11月25日金曜日

第一部:アートについて(ルネサンスから19世紀まで)

Leonardo da Vinci 《 Mona Lisa 》1503-1506


先日SAKS-BOOKSから発売された『アントロポゾフィー協会と精神科学自由大学』ヨハネス・キュール, ヨハネス・グライナー(共著)竹下哲生(編訳)。その中で、個と社会との関係性(対立)を論じるために、デザインとアートの関係性(対立)についても触れられた。本対談では、前掲書の編訳を行ったShikoku Anthroposophie-Kreis代表の竹下哲生と、ブックデザインの担当をしたArt Director / Designerの髙橋祐太が、主に西洋芸術史を基にデザインとアートという対立について考え、それを軸に現代日本の社会問題についても考えていく。


高橋:先日上梓された書籍の中で、デザインとアートの話が出てきました。今回はそのこについてのお話ということですが、まずは竹下さんの方からデザインとアートについて基礎的なお話をして頂くのが良いかと思います。


竹下:そうですね、僕にとっての「基礎的な話」というのは詰まり、歴史的な関連性ということになります。何故ならデザインとアートを対極のものとして捉える考え方は、どう考えてもつい最近に始まったとしか思えないからです。因みに僕が「最近」という言葉を使った場合は、普通は「ここ500年くらい」という意味なのですが、今回ばかりは本当に最近のことです。具体的に言うと、それは戦後になってからのことではないかと思っていて、更に言うならばこれらの二つを一対のもとして捉え、両者を対比して考える様になったのはここ5年か10年、長くても20年くらいのことではないかと僕は考えています。

とは言え順を追ってお話しする為に、矢張り時計の針を500年くらい巻き戻しましょう。そうすると今年は2016年ですから、西暦1516年にジャンプする訳です。この年にレオナルドはフランソワ一世に招かれてアンボワーズ城の近くに移り、そこから残り三年の余生を過ごすことになります。その時に彼は10年前に描き終えていた『モナ・リザ』を携えていて、それを亡くなるまでちょこちょこ手を加えていたみたいですね。またミケランジェロは、この時点でダビデとシスティーナの天井画を完成させていましたが、メディチ家の墓や最後の審判は未だ存在していません。そしてラファエロは――教皇ユリウス二世の招聘により――既に「ローマ時代」に入っていて、アテナイの学堂は六年前に完成させていましたが、四年後の死を前に未だキリストの変容には着手していない――という状況です。

正にルネサンスの最後の輝かしい花が咲き、そして程無くして散ってしまおうとしていた時です。この200年くらい続いたルネサンスを通して、現代で言うところの「アーティスト」は、それまでの中世的な「職人」から徐々に分離したと一般に言われています。というのも中世の画家というのは、誰かの発注を受けて絵を描いていたからです。言うまでもなく、この場合の依頼主(クライアント)というのは教会のことで、注文される絵というのはキリストやマリア様、或いは聖人などのいわゆる「宗教画」でした。

西洋のお金持ちの大邸宅には、黒色のバックに歴代の家長が描かれた、いわゆる「肖像画」が階段のところに飾られているというイメージが有りますが、こういうものは基本的に全て近代以降のものなんですね。更に言うと、いわゆる「風景画」が描かれる様になったのは、それよりも更に後の時代のことです。確かに、それまでも人物画の「背景として」風景が描かれることは珍しくありませんでした。でも風景だけでをメインに描いた絵は、ずっと存在しなかったんですね。そして肖像画と風景画の中間くらいに、世界で最初に人物の後ろ姿を描いた絵が出て来ます。

そして、この話の延長線上に「静物画」の話も出てくるのですが、これは一般的にはずっと古いものとされています。しかし僕は本来の意味での静物画は、セザンヌのリンゴくらいまで待たなければならないと思っています。詰まり風景画も静物画も、19世紀くらいから始まったと見るのが妥当だろうということです。因みに今僕が話しているのは飽くまでも西洋美術史であって、中国の絵画史に於いて風景画は西洋よりも1000年くらい早くに登場します。まあ、別に「早ければイイ」って訳でも無いんですけどね。

この600年くらいの西洋絵画史を概観してみると、描く対象は神→人間→モノ(風景も含む)と変化してきた訳です。これは「尊いもの」から「ありふれたもの」への移行だと言えますし、柳田國男的な表現を使うならばハレ(霽れ)からケ(褻)へのシフトですね。こう考えるならば次のステップは明確で、それは「モノですらないもの」だということになります。こうして、いわゆる「抽象画」の必然性が見えて来る訳なのですが、興味深いことに絵画が絵画である以上は絶対に無くならないものが有って、それが色です。

ですから20世紀以降の絵画は基本的に「色」が本質的な意味を持っていて、その「かたち」は付随的なものでしかない、ということは容易に想像がつきます。もう少し分かり易い言い方をするならば、絵に「何が」描かれているのかは全く重要ではないということです。そして、そこにはキリストもマリア様も描かれていないのに、それでも聖なるものが体験出来ることを、芸術の理想だと言えるのではないでしょうか。





Mark Rothko《 Untitled 》1957




さて話を西洋の中世に戻して、教会が宗教画を職人に発注するならば、その絵の所有権は最初から教会側に有ります。そしてクライアントが絵の代金を支払うことで、絵を描く人は「職人として食べていく」ことが出来ます。こういう関係性に於いては未だ、その絵を「誰が」描いたのかは、社会的に見て余り重要では有りません。それはApple社の製品が中国で作られていたり、或いはフジテレビが放送している番組を実際に作っているのは、下請けの制作会社だったりすることと同じです。本質的な問題は「誰が手を動かしたか」ではなく「誰が作ろうと(発注)したか」なのです。

ところが、この関係性は映画制作(配給)会社と映画監督の場合は違います。例えば黒澤明の作品であるならば、それが東宝なのか大映なのか、はたまた松竹の映画なのかは見ている人にとっては全くどうでも良いのです。本質的な問題は黒澤明個人の脚本家・監督としての能力であって、それが「どういう社会的な位置付けにあるのか」ということには全く重要ではありません。そして、これが言わば中世の「職人」と現代的な意味に於ける「アーティスト」の違いなのです。そしてアーティストというのは個人として社会に認知されるので「名前」があるのに対して、職人は社会的な機能の一部でしかない為に個人としては名前を持たないのです。それは市長の名前は誰もが知っていても、市役所の職員の名前は誰も知らないことと同じです。後者の場合、本質的な問題は役職名であって、個人名ではありません。

ですから創作のスタイルも、職人とアーティストでは異なります。既に述べた様に職人は発注を受けて絵を描き始めますが、アーティストは「描きたいから描く」のです。職人の描いた絵は必ず売れますが、アーティストの描いた絵は誰も買わないかも知れません。何故なら前者に於いては創作の動機を社会の中に見い出すことが出来るのに対して、後者は個人の中でしか見出せないからです。そして社会の中で生まれたものは最初から社会の中に居場所が有るのに対して、個人から生み出されたものは社会の中で居場所を見つけられるかどうかは分からないのです。ですから「売れないアーティスト」は腐るほど居ても「売れない職人」は考えられないのです。その代わり後者は、どれだけ素晴らしい作品を残しても、それは「名も無き職人」によって作られたと言われてしまう訳ですね。

そして西洋の中世には職人しか居なかった筈なのに、何故だか今から500年か600年くらい前から徐々にアーティストが活躍し始めるのです。それは「社会」が変化したからだとも言えるし、また個人の「意識」が変化したからだとも言えるでしょう。まあ言ってみれば「時代」が変わったんですね。時代が変わって職人が、自分の「名前」を持つ様に成ったので、例えばミケランジェロはヴァチカンのピエタに自分の名前を彫っていますし、レオナルドはクライアントに頼まれた絵なのに、自分で気に入っちゃって手放さなかったりする訳です。

この様にアーティストの「我」が見え隠れし始めるのがルネサンスからなのですが、これは一般に西暦1300年頃から徐々に始まって、どんなに遅くても1600年頃には終わっていたと考えられています。因みに僕はミケランジェロをルネサンスの最後の生き残りだと考えていて、彼の死後はマニエリスムかバロックと呼ぶのが適切だろうと考えています。何しろ88歳と長命だったミケランジェロの没年には、ガリレオ・ガリレイが生れている訳ですから。詰まり「科学革命の17世紀」は、もう目の前だということです。因みに「宗教改革」のルターはミケランジェロの8歳年下で、ラファエロと同い年です。

そして同じく長命だったガリレオの死からおよそ40年後にバッハが生れていて、彼は音楽の中に自分の名前、詰まりB・A・C・Hを入れたと言われています。そしてバッハの死から20年後にベートーベンが生まれていて、彼は周知の様に「世界で最初のアーティスト」だと言われているのです。というのも、それまでの音楽は――先ほど述べた中世の画家と同様――宮廷や貴族の発注を受けて作曲されていたからです。そんな中で彼はパトロンの為ではない作品を発表しました。彼は創作の動機を労使(主従)関係から人間の内面へと移行させ、それを享受する相手を貴族から「名もなき」大衆にしたのです。それと何と言っても、ベートーベンには「アーティストっぽさ」に事欠きません、何しろ彼は音楽家なのに、聴力を失ってしまう訳ですから。ですから現代の日本でも、そういうことを真似したくなる人が居るのも頷けます。

因みにショパンなんかはベートーベンより40歳年下なのですが、彼に於いては既にベートベン的な意味での「アーティストっぽさ」からの脱却の傾向が見られます。詰まりアーティストだからと言って、矢鱈と「個性を強調する」のは逆にダサいんじゃないかという、そういうテーマが見えて来る訳です。この点に関しては後で改めて取り扱いたいと思うのですが、ルネサンスから徐々に始まった「アーティスト衝動」みたいなものは、取り敢えず19世紀の中葉くらいで「ピークを過ぎた」と見て良いのではないかと僕は考えています。

仮にそうだとしてもレオナルドから数えて300年、ジョットからならば500年くらい続いた訳ですから、それはとても「大きな波」だったということは間違い有りません。それと念の為に言っておきますが僕は、ショパン以降に「個性的な人物」が居なくなったと思っている訳ではありません。実際ショパンが亡くなってから4年後にゴッホが生まれていますし、彼が死ぬ9年前にはピカソも生まれています。この二人の名前を聞いただけで、どれだけ「個性」という概念と「好き嫌い」という感覚が、強く結びついているかが分かると思います。因みに僕はゴッホやピカソよりも、普通にラッセンが好きですけどね。


高橋:……


竹下:冗談はさておき「アートの歴史」を概観するならば、19世紀の後半からは「芸術の客観性」というものが徐々に問題として浮上するということを、ここで明確に述べておきたいと思います。詰まりルネサンス以降は創作と個性を結びつけること、即ち「芸術の主観性」が強くなる傾向があったのに対して、時代が19世紀から20世紀に移る頃には逆に「客観性」が重視され始めるということです。そして極めて逆説的なのですが、本当の意味での「個性的な人物」と言うのは寧ろ、これ以降のことなのです。

とは言えアーティストの話を適切に終わる為に、二つ目のテーマについて簡単に言及しておこうと思います。それは何かと言うと、いわゆる「アーティストの食扶持」の問題です。既に述べた様に中世の職人さんに「食いっぱぐれ」は無かったのですが、アーティストの場合は充分に考えられるのです。何故ならアーティストが「作りたいから作った」ものを、社会が必要としているかどうかは分からないからです。仮にアーティストが社会の求めている作品を作ることが出来るならば、それを売ってお金にすることが出来ます。しかし社会が求めていない作品しか作れないアーティストは、創作活動では食べていけないのです。その典型的な例として、ゴッホが挙げられます。






Vincent van Gogh《 Self-portrait 》1889




また、これと同時に「何がアーティストとして適切な収入なのか」という疑問も生じます。基本的に近世以降のアーティストには、何らかの形でのパトロンが居たと考えるのが妥当です。詰まり「作品を作って、それを売る」というかたちではなくて、経済的に余裕のある誰かに生活を保障されていた上で「自由に」創作をしていた訳です。ところがベートーベンは民謡の編曲で糊口を凌いだり、或いはショパンは貴族の女性のピアノの教師をしたりしています。詰まりアーティストが純粋な創作とは別の「お金になる仕事」をしていたということです。

仮にアーティストが「アーティスト的な仕事」だけで食べていこうとすれば、例えば作曲して楽譜を売ったり、或いはコンサートを開催してチケットの売り上げを収入にしたりということが考えられます。勿論、画家や彫刻家が自分の作品を売るというのでも構いません。本質的な問題はアーティストが「創作活動だけで食べていける状態」になって、ようやくアーティストは中世的な職人の状況から完全に脱却するということなのです。

そして、この傾向は18世紀の時点では未だ余り明確ではありません。しかし19世紀に入るならば、現代のアーティストがCDの売り上げ(ダウンロード数)の印税を収入にしていることの発端を見いだすことが出来ます。詰まりアーティストは、アートにお金を払う「消費者」によって生活が支えられる構造が見えて来るということです。これはひとえに「アートの民主化」と言って差し支えないと思います。詰まり、それまでもアートは基本的に全て、貴族や聖職者などの「一部のお金持ち」の所有物でしか無かった訳です。ところが庶民であっても沢山の人が支持するならば、それでアーティストは食べていけるのです。詰まり少数の富裕層に支えられたアートなのか、或いは大勢の庶民に支えられたアートなのかということです。

まとめるとアーティストはルネサンス以降の歴史を通して、中世的な職人の世界から徐々に「個人として浮上」します。こうしてアートは社会とは無関係なもの、肯定的に見るならば社会から自由なものになるのですが、その結果としてアーティストは食い扶持を失ってしまうのです。しかし、それまでアーティストの生活を支えて来た富裕層ではなく、大勢の庶民の支持を得ることが出来るならば、それはアートにとっての新たな「社会との接点」になる訳です。アートは少数の「パトロン」から独立して、大勢の「ファン」に結びつくのです。

詰まり現代の殆どのアーティストは「やりたいけどお金にならない創作活動」と、「やりたくはないけどお金になる仕事」の狭間で生きています。詰まり程度の差こそあれ、殆どのアーティストは「売れないバンドがバイトで食いつなぐ」的なことをしているということです。これは単にお金の問題ではなく、「社会との接点」という話です。そして「ファン」という概念は、アートが民主化する以前には存在しなかったのです。

中世から近代への変化に於いて職人は、アーティストして名前を持つ様になりました。そして、この傾向の延長線上にファンもまた名前を持ち始めるであろうことは、容易に想像がつきます。詰まり「会いに行けるアイドル」ということです。


つづく






竹下哲生/Tezuo Takeshita(Shikoku Anthroposophie-Kreis代表)
1981 年香川県生まれ。2000 年渡独。2002 年キリスト者共同体神学校入学。2004年体調不良により学業を中断し帰国。現在自宅で療養しながら四国でアントロポゾフィー活動に参加。共著『親の仕事、教師の仕事〜教育と社会形成〜』訳書『アントロポゾフィー協会と精神科学自由大学』『アトピー性皮膚炎の理解とアントロポゾフィー医療入門』(いずれもSAKS-BOOKS)他。



髙橋祐太/Yuta Takahashi(Art Director / Designer)
日本を拠点に活動するアートディレクター兼デザイナー。ブランディング、グラフィックデザイン、パッケージデザイン、エディトリアルデザイン、ウェブデザイン等を行う。物事の本質に忠実なシンプルで洗練されたデザインが特徴。German Design Award(ドイツ)、A' Design Award(イタリア)など国際アワードを受賞。Shikoku Anthroposophie-Kreis理事。







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