2016年1月29日金曜日

ゲーテアヌム家具工房における追悼の辞『セルゲイ・O・プロコフィエフ氏のライフワーク』3/3


昨年7月26日に亡くなられたセルゲイ・O・プロコフィエフ氏。その無二の理解者であったペーター・ゼルク氏の追悼文を萩原亮一氏の翻訳で紹介。


悪との出会い

1999年、人智学協会とアントロポゾフィア存在、世紀の変わり目と人智学協会の任務 が現れた同じ年に、セルゲイ・プロコフィエフがこれらのことに取り組んだ真剣さは、悪の問題についての彼の最初の基礎的研究(悪との出会いと、精神科学を通してのその克服―礎石についてのその他のエッセー)においても現れました。ルドルフ・シュタイナーによれば、現代と未来において「完全に意識的な戦い」が始められなければならないのは、この悪に対してでした。セルゲイ・プロコフィエフは1998年―666という黙示録の数字の三度目の繰り返しの年―に東ヨーロッパ、中央ヨーロッパでこのテーマの講演をしました。1924年9月の黙示録についての連続講演の中でルドルフ・シュタイナーが語るように、この繰り返しは常に悪の力の大きな増大を生じさせます。1999年から始まり、セルゲイ・プロコフィエフが著書の中で描写し、そして明確に予期したことが、年々ドラマチックな現実のすべてにおいて現れてきました。テロ攻撃と新しい悪の形です。ルドルフ・シュタイナー以後の人智学徒の中で、悪の諸力について、その様々なレベル、性質、影響についてそれほどまでに徹底して、深く―それほどまでにオープンに、恐れることなく、直に見つめた人はいませんでした。セルゲイ・プロコフィエフは、20世紀についての驚くべき分析を示しましたが、彼はその分析において、その下に横たわる諸力にまで―ただ人類を服従させるだけでなく、人間の自我存在を破壊しようとするアスラ(asuras)とソラト(Sorat)に至るまで―貫きました。

セルゲイ・プロコフィエフは、このテーマについて、しばしば分散した形で語られたルドルフ・シュタイナーの言葉に私たちの目を開かせ、それらが生産的な意味を持つものにしました。彼は、人間が悪を認識することは、物質世界における悪の影響を直接見ることができず、それゆえに人間の霊的意識による「反射」を必要とするヒエラルキア存在(霊界の諸階級の神的・天使存在:訳者)にとっても重要であると強調しました。もしその関係を創ることができれば、それらの存在たちは人類が悪の諸力と向き合う際の有効な手助けを提供することができます。


人智学を守護する

注意深い読者なら、彼の仕事が霊界にとっていかに重要であったかを感じ取ることが出来ますが、セルゲイ・プロコフィエフはこれらのことを単に自分の著書のために書いたのではありませんでした。彼がそれらの発見を提示したのは、主として一人の分析家としてそうしたのではなく、彼が「善のための礎石」と呼んだものの現実のためであり、それは、ミヒャエル(ミカエル)の共働者たち(Michaelites)による新しい人間の共同体の土台を作るためであり、その共同体は「霊的な兄弟愛が初めて完全な形で実現され得る」共同体でした。このことはまた、セルゲイ・プロコフィエフが、彼の長年にわたる人智学の公然の敵対者との対決と、また多くの仕方で、その「彼ら自身の地位を持つ」人々によって悪用され、歪められたこととの対決を見る見方でもあります。重要な点は、文明社会のただ中で、人智学の核心の衝動のために実存的(無条件的)に耐え忍ぶことのできる真の「兄弟愛」―それが意志と結ばれることによって―を形成することです。これを妨げ、その実現を遅らせたのは、敵対者の存在と会員たちの意識の欠如だけではなく、最も重要な事柄から注意をそらせてしまう多くの出来事でした。

彼がこの仕事に取り組んだのは、霊界に対する責任感からであり、特にクリスチャン・ローゼンクロイツとルドルフ・シュタイナーに対するそれからでした。「もし私たちが…包括的なカルマの法則を真剣に捉えるなら、私たちはこう言わなければなりません。霊界において―[人智学の]源泉において―ある存在がいる。その存在は、この霊的財宝とつながりを持つすべての人が意識的に自分自身の責任を受け入れるまで、そのような悪用から生じるすべての責任を担っている。これは、今日にいたるまで、ある存在が高次の知識の悪用を通して生み出された全てのカルマを担わなければならないということを意味します。これが、人間の自由についてのもう一つの(エソテリックな)側面であり、パウロの言葉「あなた方は、代価を払って買い取られたのです。」に見出されるそれです。人間の自由のネガティブなカルマを最も直接的に担わなければならない存在はクリスチャン・ローゼンクロイツです。ルドルフ・シュタイナーはクリスチャン・ローゼンクロイツを「人類最大の殉教者」呼んでおり、それは、歪められた真理から生じるすべての責任を担う者という意味です。

ルドルフ・シュタイナーはある会話の中で、彼がクリスチャン・ローゼンクロイツと共に霊界の祭壇―「人類の犠牲の祭壇」―を前にしてある儀式を執り行っているということを示唆しました。セルゲイ・プロコフィエフによると、霊界において無私な態度で人智学の存在に仕えること、そしてこれら二人の秘教的キリスト教のマスターを支えること、つまり、「彼らの仕事を悪用して、人類のために担われる彼らの重荷と苦しみを増やす」のではなく、未来において彼らと共に働くことには重要な意味があります。


霊的な地平線の「純粋さ」

これに関してのセルゲイ・プロコフィエフの努力は―非常に大きな代償を払うことになり、また人生の最後まで続いたそれは―ヴァレンティン・トンベルク(Valentin Tomberg)との闘争をその中心として見出すことができます。トンベルクはルドルフ・シュタイナーのエソテリックな学徒であり、クラス・メンバーであり、クラス・ホールダー(クラッセン・レーザー)であり、事務総長でしたが、彼のその後の活動は、イエスからキリストへのステップを逆行し、精神科学の存在を否定するものでした。「真のバラ十字の精神の中核に対するこれ以上に強力な攻撃を想像することは難しい」とセルゲイ・プロコフィエフは書き、トンベルクの優れた悟性的才能を認めた彼は彼に敵としての十分な価値を見出しました。しかしながら、後に闘争は彼に多くの努力を要求しましたが、それは、彼に対してなされた主張の悟性的、霊的レベルの低さから生じたものであり、今度は、これらの闘争が彼にとって途方もない忍耐の試練になりました。それにもかかわらず、セルゲイ・プロコフィエフはその努力を引き受けましたが、それは、「霊的な地平線の純粋さを守る闘士」、ミヒャエルが、エーテル存在のキリストが歪められたイメージで捉えられることがないように(それは人類にとって致命的な結果を引き起こす)、地上において仲間の戦士を必要としていたからでした。

セルゲイ・プロコフィエフが上述の仕方で引き受けた批判的論争と、その途上で出版したいくつかの著作は、彼が個人的なオカルトの(霊的な)責任として認識したことの結果でした。彼はこの領域での彼の著作が、人智学の調査方法を徐々に傷つけ、破壊することから守るための努力であると理解していました。それは、ルドルフ・シュタイナーに負う「借り」を覆すためであり、21世紀―あるいはもっと後に―におけるあの頂点を可能にするためでした。セルゲイ・プロコフィエフは、少なくとも彼の力に及ぶすべてのことをそのために貢献したいと思いました。


理事会への任命

2001年にようやく彼はゲーテアヌムの理事会に加わるため、ドルナッハに呼ばれました。個人的な会話の中で彼の人生を振り返りつつ、彼は彼がドルナッハにおいてルドルフ・シュタイナーへの「借りの支払い」をするため、そしてあの頂点のために集中的に働くには、最も遅くとも1994年までにドルナッハに呼ばれるべきであったという考えを繰り返して表現しました。任命の前でさえも、彼はいわゆる「会則の問題」―彼はそれを2000年の年次総会で「アーリマン的な誘惑」として語りました―とそれ以後の多くの出来事について、ゲーテアヌムと精神科学自由大学をそれらの中心的課題から逸脱させるための意図的な試みであると見ていました。それにもかかわらず、彼は全力を持って前進しました。彼はドルナッハに、完成した彼の 人間たちが、それを聞きますように!クリスマス会議の謎 (彼の著作中で最も文量のある著作)の原稿を携えてやって来ました。それは、7×3年前に彼の最初の論文が発表されてから、彼がこのテーマについて発見したことのすべてを含む原稿(1000ページを超える)でした。その序文の中で彼は、ある一つの疑問に対する答えを探す試みがこの研究の方向を生み出したと書いており、その疑問は「ルドルフ・シュタイナーは、彼がクリスマス会議を『時間の中での、一つの宇宙的転換期の始まり』と呼んだ時、彼は何を意図していたのか」でした。プロコフィエフ以前には、理事会のメンバーで、常に意図されてきた、そして「頂点」という標識の下で今画期的に生じるべきことを描写するそのような作品を携えてドルナッハにやって来た者はありませんでした。

彼の仕事の目標を振り返りつつ、セルゲイ・プロコフィエフは、彼がドルナッハにやって来たのは、ゲーテアヌムを現代の秘儀のセンターに発展させるための協力をするためであり、また彼の主な任務がルドルフ・シュタイナーとのつながりと人智学(特にそのキリスト学)の深化、そしてクリスマス会議と人智学協会のエソテリシズムの理解と精神科学自由大学の仕事(普遍人智学部門/第一学級)を支えるために彼の研究とそれらを教えることを継続することであったと書いています。彼はこの仕事と、これらのイニシアチブが人智学協会の世界中での活動の中へと光を放射するその力に、そして、(世界中の)支部の活動と大学の活動が(見返りに)ゲーテアヌムに与える影響に懸けていました。

続く12年間にセルゲイ・プロコフィエフはゲーテアヌムと地球上のほぼ全ての大陸において本質的で重要な講演を行っただけでなく、彼が言及し、研究した諸テーマについての新鮮で深遠な著作を立て続けに出版しました。それらの中には、「新しいキリストの秘儀への鍵」としての「礎石」の瞑想について単独に取り扱う著作、続けて出版され、一冊ごとにその深さとディテールを増して行く、キリスト学に焦点を当てたモノグラフ(一つのテーマを扱う論文)がありました。彼は 自由の哲学 についてのキリスト学的、宇宙‐人間的な側面について、自由の哲学 と第五福音書との関係、エーテル界におけるキリストの出現、そして人智学の光に照らされた復活の秘儀について書きました。そしてこれらの全てが、精神科学的観察が捉えることの範囲で、これまで未知であった領域を切り開きましたが、同時にそれらは正確さを持つものでした。


人智学の強化

セルゲイ・プロコフィエフの著書は、ルドルフ・シュタイナーの研究と著作を単に編纂したものではなく、それらを前提にしたものでした。彼はそれらの作品についての包括的知識を持って、それらを思考と瞑想において、これまで誰にも可能ではなかったようなレベルで発展させましたが、それは常にルドルフ・シュタイナーの霊的存在との親密な関係の中でなされた、彼独自の、新しい調査研究でした。その強力な意志の強さにもかかわらず、彼は顕著な謙虚さを持ち続けていました。

しかしながら、彼は人智学協会内とドルナッハにおけるルドルフ・シュタイナーとの関係に徐々に問題を感じるようになり、2006年に、この関係についての著書を出版しました。彼自身の霊的な経験に基づいて、セルゲイ・プロコフィエフは、ルドルフ・シュタイナーとの現実の(本当の)霊的関係を見つけることは、人智学の生活そのものにとって必要なことであり、それゆえに人智学と人智学運動の将来にとって決定的に重要なことであると知っていました。2012年3月30日のゲーテアヌム大ホールにおける彼の最後の講演は、遺産という性格を持つものでしたが、彼はそれを 今日私たちはどのようにルドルフ・シュタイナーの前に立つことができるか?(人智学協会の危機と未来への道) というタイトルで出版しました。その中で彼は、霊界の敷居においてミヒャエルの学徒の前に―彼自身の高次の自我であるかのように―立つルドルフ・シュタイナーに出会う際に生じる内的経験を描写しました。彼はそのような人がいかに霊界において彼の師を見い出し、そこで「いかにその人間の真理と人格が、キリスト-イエスの光のアーキタイプ的なイメージの中で、(真理が人格の中へ、人格が真理の中へと)互いに流れ込んでいるか」を見ると語りました。

セルゲイ・プロコフィエフは、ドルナッハにおいて人智学の存在(the being of anthroposophy)との関係がより強くなることを願いましたが、彼は人智学の存在との関係がそのように強化されることが、ルドルフ・シュタイナーの存在との霊的な親密さを生じさせることを知っていました。ドルナッハは、人智学の生ける超感覚的存在が真に経験される場所でなければならないのであり、それは、「ルドルフ・シュタイナーが、ゲーテアヌムにおいては(世界のどの場所にも存在しないほどに)人々が純粋で歪められていない人智学と出会い、そのキリスト学的核心を見出すことができることを最初から意図していたからでした」。セルゲイ・プロコフィエフによれば、人智学がミヒャエルの支持者(共働者)たちに与えられたのは、「私たちの意識が広げられ、霊化され、責任感情が強められ、私たちの任務を全うするための意志が目覚めさせられるため」でした。

この点でセルゲイ・プロコフィエフは、ますます孤立化していく自分を感じました。彼は「宇宙的孤独さ」(“cosmic loneliness”)の経験が、現代の秘儀参入に属するものであるということを知っていましたが、それでも彼はしばしば、「頂点」のための戦いの、彼の同僚はどこに存在するのかと自分に問わなければなりませんでした。彼が彼のルドルフ・シュタイナーとの関係とその重要性を語る理由が多くの場合に誤解されたことは、彼を苦しめました。―その内的で霊的な次元が理解されず、彼が教えたこと、正真正銘に生きたことは理解されないままでした。

すでに 天上のソフィアとアントロポソフィア存在(1995) の中で彼は、「[今日、」まだ本当の霊的愛を知っている人はどれくらい存在するのか」と問いかけました。しかし、彼自身は人智学のエソテリックな核心と、「ミヒャエルの力、ミヒャエル存在が人間から受け取りたいと望むもの」に対して忠実であり続け、彼はその意志を感じ続けました。


力の喪失という試練

彼の偉大な研究に選ばれた挑戦的な主題がセルゲイ・プロコフィエフ自身によって選ばれたことは稀でした。―むしろ、それらは霊界によって彼に与えられたものでした。個人的な会話の中で彼はしばしばこう言いました。「そしてある任務が、霊界の満足に足る程度に全うされたとき、霊界は賛同をもって答えるのではなく、次の、さらに大きな仕事をもって答えるのです」。重要なことは、ただ単に霊界を承認するということではなく、奈落の底の時代(an abysmal age)において人智学の衝動を前進させることであり、そして自分自身のインナーワーク(内的修業)を継続し、支えることです。「私たちはまだ、世界の中で、私たち自身がクリスマス会議のエソテリックな衝動の真の代表者として準備が整っているかどうかを、そして人智学協会の過去(20世紀)に経験された失敗と後退の全てにもかかわらず、その目標と任務の実現のために耐えしのぐ用意ができているかどうかを試されなければなりません」。ドルナッハや他の地域でのそれとは逆方向の経験にもかかわらず、セルゲイ・プロコフィエフは「責任と奉仕の道を進む」決断をし、それにおいてルドルフ・シュタイナーを模範としました。彼は「力を失うという試練」(a test of powerlessness)に耐える勇気を発達させることを望み、将来においてミヒャエルの霊の支流の文明が切り開かれることを信じ続けました―しかし、その際に人智学を矮小化し、「この世の君主」に対する偽りの妥協をすることなく。セルゲイ・プロコフィエフはこの道が個人的な殉教によって終わることを前もって知っており、その準備ができていました。

1988年のオディリエンベルク(Odilienberg)における初期の講演の中で、彼は言いました。「私たちのクリスマス会議とのつながりとそれに対する決意に基づいて、私たちが人智学徒として生前から持ってきたカルマ的挑戦を引き受けるための、そしてそれらを人生の中でカルマ的達成へと変容させる力を目覚めさせることができます。―そうすれば、私たちは人生の最後の三分の一の期間を自由なカルマ的犠牲として捧げることができます。これは、ルドルフ・シュタイナー自身が歩んだ道を辿ることができるということを意味します」。

実際、セルゲイ・プロコフィエフにとって、人智学協会のエソテリシズムの一部は「私はそれと関わる全ての困難と苦しみにもかかわらず、その犠牲の道においてルドルフ・シュタイナーに続くことを求めているのか、あるいは私はそうするつもりがないのか」という根本的な問いの中に存在しています。彼がそれを携えてドルナッハに旅立ったという、包括的な著書、人間たちが、それを聞きますように! の中で彼は、もし私たちに殉教の準備ができていないなら、今日キリストの弟子としての道を歩むことは出来ないと書いています。また他の場所で彼は、ルドルフ・シュタイナーの地上の人生の道の、その最も内的な本質は、キリストの道の模倣であったと強調しています。病気になって2年目に彼は 人間たちが、それを聞きますように! から「ルドルフ・シュタイナーと人智学協会のカルマ」の章を人智学協会のエソテリックな性質 というタイトルで出版しました。そこで彼はヨハネ福音書の中の「別れの言葉」を引用しました。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」。[ヨハネ福音書、第15章、第13節]


秘儀の更新

セルゲイ・プロコフィエフは、2011年復活祭の、深刻な診断結果を霊界の決断として受け入れました。―「弟子は師より偉大ではない」。彼は、人間たちが、それを聞きますように! の中で、ルドルフ・シュタイナーの病気について広範に書きましたが、それらは、クリスマス会議に対して猛威を振るった敵対勢力について、そして彼の同僚たちのエソテリックな理解(不十分な理解)によっていかにルドルフ・シュタイナーがそれらの勢力から守られなかったかについてでした。セルゲイ・プロコフィエフは謙虚で控えめであったので、彼自身の似通った状況について語ることはありませんでしたが、彼は自分の病気が彼と彼の運命に属しているものであると経験したことはありませんでした。病気の間の苦しい時期を通して、彼はルドルフ・シュタイナーとの親密さの更なる強化を感じ、そしてすでに多くの年月を通して「我々の自由になるかよわい力を用いて、彼の十字架の少なくともある小さな部分を担う」準備が出来ていました。

人生の終わりの時点で、セルゲイ・プロコフィエフは彼自身のバイオグラフィーを―それが地上で可能な範囲内において―詳細な部分まで完全に見渡すことができました。彼はそれを通して働き、それを変容させました。会話の中で彼は、死後に霊的に貫かれた自分の人生のストーリーを霊界に持っていき、ヒエラルキア存在たちのこの仕事を軽くすることは重要だと言いました。私たちは彼がそこで実際にどのように受け取られたかを知りません。死のほんの少し前の最後の会話の中で、彼は私に、彼が霊界とルドルフ・シュタイナーに伝えるべきことを持っていると言い、特にそれが地上における人智学のあり様(ふるまい)についてだと言いました。しかし、それに付け加えて、彼は人生を通して人智学に仕える機会を与えられたことがとても幸せであったと言いました。

ルドルフ・シュタイナーは強調して言いました。「そして、いつか―世界でこれらのことが正しく考えられるようになる時―人々は、このゲーテアヌムにとって、秘儀の更新こそがその責任であるということを理解することによって、ゲーテアヌムの役割(任務)に敬意を払うようになるでしょう」。セルゲイ・プロコフィエフは、この秘儀の更新という仕事において、非常に傑出したパイオニアでした。世界中の全ての大陸における多くの人々が、出版物と講演を通して彼の霊的な調査研究を知っており、また彼に理事会におけるルドルフ・シュタイナーの代表者を、そしてゲーテアヌムの普遍人智学部門のリーダーを見出しました。

セルゲイ・プロコフィエフは、この春以来人智学の友人たちによって多くの場所で祝われているクリスチャン・モルゲンシュテルンの死の百周年記念の間に地上を去りました。ルドルフ・シュタイナーは1909年から1914年の間のクリスチャン・モルゲンシュテルンによる人智学の取り組みと、彼が人智学を深めたことに対していかに無限大に感謝していたことでしょう。モルゲンシュテルンは、彼が私心を捨てて取り組み、キリスト化した人智学の諸理念を霊界へ運び、それによって1914年3月31日に彼が霊界の敷居を越えたときにそれらの理念はその本質において彼の前に現れました。そしてそれらは、まだ生まれていない魂と地上を去った魂たちにとって大きな、継続的な助けとなり、またルドルフ・シュタイナーの更なる地上の歩みの道を支える力になりました。40年以上に亘ってあのような力強さと、能力と、無私の態度をもって人智学に捧げたセルゲイ・プロコフィエフの人生の仕事について、ルドルフ・シュタイナーは霊界でどのように感じているでしょうか。復活の秘儀(2008年、聖霊降臨祭)の序文の、その最初の書き出しに彼は書きます。「この本の内容は、ルドルフ・シュタイナーの霊的調査に基づいて発見される時代の転換期の出来事の真の理解のための証言を提供しようとしています」。そして後の方で彼は続けます。「今日、人智学の尽きることのない実りを実証するためのそのような努力がなされなければなりません。なぜなら、例えその創設から100年が経過したと言っても、その諸源泉は当初と変わりなく命と霊感にあふれているからです。それらは、相応しい瞑想的ムードと必要な集中力をもってそれらを抱きかかえ、また自身の魂の最良の創造力をもってそれらと一つに結ばれようとする誰によっても発見され得るものであり、それによって実を結ばせ、活力を与えることができます。そうすれば人はそれらの内容に対して、尽きることなく増幅する驚愕と畏敬の念をもって近づくことができるようになります。今日、魂のこれらの諸力だけが、現代に相応しいキリストへの道を人間のために開くことができますが、それは、地上の人生の意味は『彼』の上にしか見出されることがないからです。それゆえに、この本は、人智学の創始者であるルドルフ・シュタイナーに対して深い感謝の気持ちを表すものです。この西洋の偉大なクリスチャン・マスターに対して」。


守護し、手助けする力

セルゲイ・プロコフィエフは、今年(2014年)の1月16日の彼の60歳の誕生日に現れた彼の出版物の回顧録(プロコフィエフ氏の著作リストのことか?:訳者)を、彼の探究が将来ゲーテアヌムを「新しい秘儀」の場にしようと努力し続ける人たちにとって「理解を深め、助けとなる」ことを願うという結論をもって閉じています。しかし、私はこれらの人々は彼の著書によってのみ助けられるのではなく、守護し、手助けする彼の偉大な霊の存在(individuality)のによっても支えられるであろうと信じます。ある追悼演説でルドルフ・シュタイナーは言いました。「そして、死に際して私たちは初めて、何という大きな慈悲を賢しい宇宙存在の導きによって私たちが受け取ったかを感じます。カルマが愛をもって私たちを私たちが出会った人々に導いたということに」。セルゲイ・プロコフィエフの死の知らせを受け取った後に、ある友人が私に書きました。「何という大きな喪失!―そしてまた、『もう一方の世界における』何という重要な受容!―このルドルフ・シュタイナーの内的に最も忠実な弟子であり、彼の新しいキリストの開示の守護者の」。

私たちは、セルゲイ・プロコフィエフと私たちの繋がりを維持し、それを強めていくよう努めます。そして、私たちは彼がこれからの旅路において私たちを活発にサポートしてくれることを願います。

私はなるだろう
そして自分自身から行う
輝く力が私の中に照らし出すことを。



ペーター・ゼルク医学教授 Prof. Dr. med. Peter Selg
1963年ドイツ・シュトゥットゥガルト生まれ。1983年にアビトゥーアを取得し、1986年からヴィッテン=ヘルデッケ大学で医学Humanmedizinを学び始まる。1993年に医師国家資格を取得し学位請求論文が認められる。1993年から2000年までは共同体病院ヘルデッケにて医療に従事しながら小児心理科の研鑽を積む。2000年から2002年まではフライブルクの、応用認識論と医療的方法論の研究所にて共同研究者として勤務。2002年から2005年まではゲーテアヌム精神科学自由大学医学部門の共同研究者。2002年から2006年まではアールレスハイムのイタ・ヴェークマン病院にて小児心理科の主導的な医師として勤務。2006年以降はアールレスハイムのアントロポゾフィーの基礎研究のためのイタ・ヴェークマン研究所の設立と経営に携わっている。また2007年以降は芸術と社会のためのアラヌス大学にて医学的人類学の教授として教鞭をとる。アントロポゾフィー協会スイス理事
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