2014年3月23日日曜日

『親の仕事、教師の仕事 〜教育と社会形成〜』入間カイ, 竹下哲生〔共著〕|出版記念インタヴュー



本日、3月23日(日)から発売開始された、日本シュタイナー幼児教育協会代表の入間カイ氏とShikoku Anthroposophie-Kreisの竹下哲生氏の共著『親の仕事、教師の仕事 〜教育と社会形成〜』。出版記念インタヴューとして、この書籍に込められた両著者の思いと、本書の成立過程について伺った。

Interviewer: Yuta Takahashi

——今回、共著として出版される運びとなった『親の仕事、教師の仕事 〜教育と社会形成〜』ですが、実は、当初の予定では2013年5月26日に行なわれたカイさんの講演『教師の仕事、親の仕事』を、そのまま一冊の本として出版する予定でした。共著として出版する事になった経緯と、実際に本に纏まったものを受けて、どのようなご感想を持たれましたか?

入間カイ(入間):実は、本書に収録された講演の前に、竹下さんから『民主制と貴族制』についての講演依頼を頂いたことがありました。それは2012年のことで、様々な理由があって流れてしまったんですが、僕にとって竹下さんとの付き合いはそのあたりから始まっています。

竹下さんが何度か投げかけをしてくれて、そこから今回の講演が実現したわけです。実際に行った講演は教育についてでしたが、その背景には「今の日本でどういった社会形成が可能なのか?」ということを、世代の違う竹下さんや髙橋さんと一緒に考えたいという思いがあったのです。そこで、本書の副題にあるように「教育と社会形成」を中心に話させていただきました。この本が共著という形で出ることになったのも意味があると感じています。

竹下哲生(竹下):講師の方より、講演を主催する側の方がまず明確な問題意識を持っていなくてはならないと思うのです。当初は、カイさんが行なってくれた講演を、文字に起して出そうということだったのですが、僕もカイさんの講演に応える形で「主催者側の問題意識」という視点から文を書きました。一つのコンテンツとして、「オーガナイザーの視点」というものがあっても良いのではないかと思うし、そのような視点の面白味を体験して頂きたいと思います。

——どんな方に読んで頂きたいですか?

入間:やっぱり「シュタイナー教育」に関心がある方に読んで頂ければと思うのです。竹下さんのように、日本でアントロポゾフィーを真剣にやっている方にも読んでもらえればと。例えば、「シュタイナー学校」が出来た背景には、どれだけ社会的な意識があったか。当時、シュタイナーがヴァイマール体制やドイツの情勢に対して、いかに鋭い意識を持っていたか。いかにその結果として学校が生まれたか……。そういったことに関心を向けてくれる人と情報を共有したり、話し合ったりしたい。そういうことが出来てくると、シュタイナーにまだ関心が無い方にも、何か伝わるものがあるのではないか、という気がしています。

竹下:僕が書いている時は、一般の方でも読める様に意識して書きました。「シュタイナー」とか、そういった言葉を使わなくても説明できる事は、いくらでもあるような気がしていて。

入間:以前、竹下さんから『ニッポンのジレンマ(NHK Eテレ)』の話が出ましたね。竹下さんや髙橋さんには、ああいう同世代の人たちとつながって欲しいですね。実は、お二人と一度話してみたいことがあります。僕は、去年くらいから、「シュタイナー」という名前を付けて活動することは、「シュタイナーに対する最大の裏切り」であるような気がしてきたのです。要は、個人が「自分で考える」ということが全ての出発点ですね。「シュタイナーではこう考えます」なんて言ってしまうのは、責任をシュタイナーに委ねている訳です。普通の研究者であれば、他の思想家や科学者の考えに刺激を受けたり、色々な引用をしたりしても、あくまでも自分の名前で研究を発表するわけです。

竹下:それこそ先日、髙橋さんと話していた事ですね。

入間:日本シュタイナー幼児教育協会も「シュタイナー」という名前を使っていますけれど、「本当にそれで良いのか?」と、結構悩んだのです。でも、以前、ブログに書いたのですが、社会は分かりやすく『シュタイナー』というものを求めるんですね。例えば「インド学校」というものがあって、そこに通うとインド式の早期教育が受けられる訳です。親たちがそれに惹かれるのは「インド学校」という一つの「型」があるからです。でも「シュタイナー学校」には本来、型はないんですね。ところが、「一人ひとりが自分で考えることが大切で、教師は自分の全責任でクラスを創ってゆくんです」なんて言っても、社会から見るとものすごく分かりにくい。それよりは「オイリュトミー(舞踏芸術)があります」とか、「教室ごとにこういった色彩が使われています」とか、「一年生のときはこうやって算数を導入します」とか、そうやって一つの「型」になっていた方が社会というのは安心するんですよね。

だから両方の側面があるわけです。一方では、社会に対して「こうです」って見せていかなければならない部分があり、他方では、本当は一人ひとりがクリエイティヴにやっていくという部分がある。それを、同時に打ち出していく事が大事だと思うんですね。

竹下:僕がよく言うのは、シュタイナーが亡くなって、それこそ90年近く経つ訳じゃないですか。だからアントロポゾフィー活動自体が、第2・7年期を過ぎている、と感じていて。それこそドイツなんかではもう、「自らの研究に基づいている」という事が当たり前になっている。安易に「シュタイナーの言葉を引用する」ということでは、もう通用しなくなって来ている。

——そこがまさしくSAKS-BOOKSで本を出版する根幹的な理由ですね。「同時代で研究している方たちの本を出す」。

入間:まさしく髙橋さんが仰った「研究」だと思いますね。でも、シュタイナーに関しては、「解説」とか「入門」とか講座とかは盛んだけど、独自の研究はまだ少ない。だから、竹下さんには、それこそ「ニッポンのジレンマ」に出てくるような世代の社会学者や評論家と議論したり、独自の研究をしていってもらえたらなと思います。これからは解説よりも、自分の考えを出していくことが価値があると感じますね。やはり新しい認識が、一人ひとりの個人の研究から出てこなければならない。そういった所を強めていきたいと思いますね。そのような刺激が、SAKS-BOOKSから出てくれば嬉しいですね。

——有り難うございます。

竹下:僕がドイツに住んでいる頃に体験したのは、知り合いの仲の良い先生に少し気になった事を質問すると、「それは僕の専門じゃない」と言うんですね。それで直後に何を言うのかというと、「◯◯に会いに行け」って言うんです。それは奥ゆかしい日本人にとってはびっくりする事かもしれないんですけれども、学問をやっているものの誠実さですよね。ドイツ人からすると「個人としての能力の限界を社会的に解決する」というのは当然の事であって。例えば自然科学の事について知りたければ、どこどこに誰が居るから「ピンポン(自宅を訪ねれば)」すれば良いじゃないか、って。だから本書の中でも触れていますけれども、「横の繋がり」というか、「個人と個人が繋がって、社会を形成してゆく」という感覚ですよね。

——ある程度、ピンではやっているんだけれども、コミュニティになっていないというか、そういう感があるという事ですね。

竹下:そうですね。それで、実はこの前、ある知り合いの方のお子さんなんですけれども、今、17〜18歳ほどの、高校を卒業するか、しないかくらいの子で、「自分が何をして良いのか分からない」という悩みを抱えていると。それこそ本書でも触れられている様に「自分たちは何をして良いのか分からない」と迷っている世代の人たちがいて。その人たちが本書を手にした時に何を感じるんだろう? ということと、逆にそういった人たちを前にした時に、何か言う事があるとすればどういう事だろう? と思いまして。カイさんはどう思われますか?

入間:僕自身がいまだに「自分自身は何をしたいのか?」と思うので……(笑)逆に、竹下さんはそういった悩みなどは体験されましたか?

竹下:僕は「これじゃない」というのはありました。例えば「自分は日本人じゃない」とか(笑)。それで高校を卒業してすぐにドイツへ行った訳なんですけれども。でも、それは「何をして良いのか分からない」というような悩みではなかったですね。

入間:つまり、悩みも個別だということですね。——大学に行って何をしたいのか分からないとか、本当に何もしたくないとか、悩みにも様々な種類があります——仮に若い世代の方がこの本を手に取ってくれるとしたら、逆に私たちのほうが、若い人たちから必要としているものがあるような気がします。「あなたの中にこっちが求めているものがあるんですよ」っていうかね。もしこの本を読んでくれるような事があったら、それは有り難いことです。そして、どんなことを感じたかを話してくれれば、こちらが豊かになるのです。あまりここに「あなたの道がある」とか、そういったことでは無いんですよね。みな世代は違っていても、同じ時代に生きている訳です。そこで力を合わせて先の未来を探っていけたら、と思っていますね。

竹下:カイさんも若かった当時の悩み、みたいなものがあったんだろうと思うんですけれども、本書の中に出てくる様に、「不登校のお話」とかもありましたけど、そういう話はどうですか?

入間:僕はすごく恵まれていたと思うけれど、あの当時の自分にとっては、「留学する」ということが社会から認められる唯一の動きだったんですよね。

竹下:分かります。

入間:自分は海外に行って、何も変わってはいなかったんですが、それでも「アメリカに行った」ということで、何となく認められる。イギリスに一年いて、アメリカに一年いて、それからドイツに行ったという感じです。そのおかげで向こうの高校を卒業できて、帰国子女の枠が丁度出来た頃で、大学にも入れました。海外の教授陣がつくっているキャンパスがあって、そこに入ったんです。僕にとって、留学は生き延びる為の、その時の術だったのです。今であれば、もし大学に入れるのであれば、「何をしたいのか分からないけれども、とりあえず入っておこうか」とか、あると思いますけど。

竹下:分かりますね。それはある種のモラトリアムというか身分保障というか。

入間:もしくは僕の世代でも、高校なんか行かないで、編集者とか、芸術家になった人もいます。それこそ自分で自分の道を切り拓いたことになるのかな。でも、僕の場合はこういう運命というか。そういう風に生きて来たんだな、というかね。

竹下:逆に「何だか分からないけれども、する事があった」ということが逆に救いだったりする訳ですよね。それこそ良いアドヴァイスかもしれないですね。今流行の「林修先生」とか。あの方も「やりたい事を探すとか、そんな馬鹿な事なんか言うな」って言うんですね。そうじゃなくて、世の中、簡単に言うと「やらなければならないことと、出来ること」の2つがあって。その2つをやっている間にそれなりに見つかるんだ、っていうんですね。僕も基本、人生はそうなんだろうなと思っていて。その2つをこなしている内に、そこそこ答が出てくるというか。逆に「意味不明でもやる事がある内は、有り難い」と思える必要がある。何かをやっているという事自体が、救いになるような事もあって。

——最後に読者の方へ向けて一言ずつお願いします。

竹下:入稿直前にゲラを見て頂いた方から「何もかもがダメだって言われている様な気がする」という感想を頂きました(笑)。それで少し面喰いまして。というのも僕としては今後の展望を描く過程の中で間接的に「未来には意味を持たなくなる既存のもの」について言及したに過ぎないのです。そこから何か否定的なニュアンスが伝わってしまったみたいです。僕としては個人の意志が未来に繋がる様に、現状を「整理」しただけなのです。なぜそう言ったことを書いたのかと言うと、「既存のもの——『枠』とか『システム』と言っても良いかもしれませんが——」しか見えていないからこそ抱える「悩み」っていうものがあると思うんです。でも人生と言うのは「全体として」作用している。だから20代で人生に絶望したり悲観的になるのではなく、「もっと先があるよ」ということを、現状を整理することで「見えるもの」にしたかったのです。

入間:本書の「あとがき」でも触れた事なんですが、今の日本って——政治的な話ではなくて——「個人の力」を弱めようとする作用が強いと思うんですね。例えば病院に患者として行けば、すごく自分が無力に感じる時があります。圧倒的な技術や専門知識の前で、何も知らない私たちはただオロオロするしかない。下手に病気について聞こうとすると、面倒くさい感じであしらわれたりする。同じような事が学校でもあるんですね。それこそ竹下さんが書かれていた様に「モンスターペアレント」として扱われたり……。

「自分が何をやっても、何も変わらない」という思いが世間的にますます強まっている。それこそ選挙をしても、蓋を開ければ必ず予想通りの結果になったりする。自分で投票しても、何かがそれで変わったとか実感できない訳ですよね。震災から3年経っても復興も進んでいなくて、それなのに都会の方はオリンピックで盛り上がったり。「人が真っ当に努力しても何も変わらない」というか、そういった感じが続くと、若い人もどんどん冷めてくるだろうし。その中で「どうやって個人の力を強めるか」というのはすごく大変だと思うんですけれども、「でも、それを何とかしたいですよね」という話をしたのが本書だと思うんですよね。

——お二人とも、今日は有り難うございました。

入間:ありがとうございました。

竹下:ありがとうございました。




著者紹介

入間カイ Kai Iruma
鎌倉市生まれ。幼少時をドイツで過ごす。中学・高校時代に不登校を経験し、ドイツ、 イギリス、アメリカのシュタイナー学校に留学。上智大学比較文化学科で政治学を学んだ後、 フリーの通訳・翻訳業。現在、那須みふじ幼稚園園長、 日本シュイナー幼児教育協会代表。ゲーテアヌム医学セクション外部研究員。主な著訳書に『三月うさぎのティータイム』(南方新社)、 『これからのシュタイナー幼児教育』(春秋社)、 『小児科診察室』(グレックラー/ゲーベル共著、水声社) など


竹下哲生 Tezuo Takeshita
1981 年香川県生まれ。2000 年渡独。2002 年キリスト者共同体神学校入学。2004年体調不良により学業を中断し帰国。現在自宅で療養しながら四国でアントロポゾフィー活動に参加。訳書『キリスト存在と自我〜ルドルフ・シュタイナーのカルマ論〜』(SAKS-BOOKS)、『アトピー性皮膚炎の理解とアントロポゾフィー医療入門』(SAKS-BOOKS)



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