2013年4月5日金曜日

コラム|アントロポゾフィー的視点から見た音楽の変遷とルドルフ・シュタイナーの音楽衝動|吉田和彦(音楽家・ミュンヘン在住)





芸術を通してアントロポゾフィーを深めることを望んだシュタイナーは音楽についても様々な見解を述べている。その一般常識を超えたシュタイナーの音楽観をミュンヘン在住の音楽家・吉田和彦氏がここに解り易く書き下ろす——。



ルドルフ・シュタイナーが当時音楽について語った時、それは音楽家のみを対象にしていた訳ではなく、殆どの場合、人類の誰もに当てはまる、未来へと向かう精神的衝動として語られている。その精神的衝動としての音楽を正しく理解し体験しようとする時、人が普通に有する既存の音楽概念だけを以ってしては、それが不可能であることにすぐ気付かされる筈である。しかしここで諦めてはいけない。この既存の概念を越え、その背後に存在する精神的本質に近づいていく為にアントロポゾフィーは存在するのであり、それを芸術を通して学び深めていくことによって、その本質は更に明らかなものとなる。


私はドイツを中心に音楽ゼミナールの依頼を受けて出かけることがあるが、その講義の前に自己紹介を兼ねて、参加者一人一人にどんな音楽や作曲家が好きか述べてもらうことにしている。ポピュラー音楽を挙げる人もいるが、大抵の場合バッハに始まって現代に至るまでのありとあらゆる作曲家の名前が飛び出す。又グレゴリオ聖歌や中世の音楽が好きだという人も少なからず存在する。稀にインド音楽が好きだという人もいる。だが私が「日本の伝統音楽を聴いたことはあるか?」と尋ねると参加者は一斉に首を横に振る。

一般的に先進諸国の人間が音楽について語るとき、彼らが知る音楽というのはせいぜい過去300年から400年の間にヨーロッパを土壌として発展してきた音楽を指すので、人類全体の歴史やこれからの未来のことを考えると、ごく限られた範囲内での音楽でしかない…と言わざるを得ない。だが2000年前にも音楽は存在していた筈だし、2000年後にも音楽は存在する筈である。そうした目も眩むばかりの大きな背景の中で音楽を理解しようと努力した時、アントロポゾフィーは大きな助けとなり、それを通して始めて人は音楽の本質について少しずつ触れてゆくことが可能となる。


2009年夏に四国を訪れ高知・松山・新居浜で講演会及び西条で講習会を行った皮膚科医のリューダー・ヤッヘンス博士は、日本アントロポゾフィー医学の会が主催した東京女子医科大学での医師を対象としたゼミナールに於いてこう言っていた。「私の診療所に来る患者は当然のことながら大抵の場合はドイツ人で、普段私はドイツ人の皮膚しか診ていない。しかし白人の皮膚について知っているだけでは私はまだ皮膚のことを語れない。私が皮膚科医として皮膚のことを語れるようになる為には、白人・黒人・黄色人全ての皮膚について知り尽くさねばならない」。


音楽についても同じで、人がそれについて語れるようになるためには、時代や地域を超越した全人類的な範囲にまで考察や認識を広げてゆくことが理想的な条件となる。が、まず今回この誌上では、それに至る始めの一歩として、アントロポゾフィーが生まれた20世紀初期に的を絞って、ヨーロッパに於ける音楽の変遷についてアントロポゾフィーの光を照らしながら簡単に述べてみたい。



自我に拘束された音楽

「天体音楽というものは単なる空想の産物ではなく、実際に存在するものである」とルドルフ・シュタイナーは語っている。つまりこの世の空間は鳴り響いているのである。しかし現在に生きる人間はその天体音楽を聴き取るという、遠い昔には所有していた才能をとっくに失ってしまっている。ちょうど光が届かない深海に生きる魚に眼が必要ではなくなってしまったかのように、音楽を聴こうとしない人間の感覚器官は退化してしまったのだ。人の話に耳を傾けない強情張りや自分勝手な人が歳を取ると難聴になり易いのはこのことと関係があると言えるだろう。


さて何故人は天体音楽を聴く感覚を失ってしまったのか? それは人が音楽を主体的な表現の為の道具として利用するようになったからである。


例えば古代ギリシャに於いて、それまでは空間に存在するそのままの形で歌われたり演奏されていた音楽が、演劇の舞台等での情景や感情表現の為に利用されるようになっていった。この時から音楽は人間の個人的な自我の中に少しずつ引きずり込まれてきたのであり、その過程が進化すれば進化するほど、空間に在るままの形での音楽を認識する人間の才能に陰りが生じ、そして失われてしまったのである。無論これは音楽に限ったことではないが…。


その様な観点で音楽の変遷を考察した時、ベートーヴェンはこの音楽の変遷の大きな転機に立つ作曲家であると言える。彼の作品を以って音楽は人間の自我とこれまでにない深い結びつきをもつようになった。ベートーヴェンの作品は音楽そのものというより、基本的に音楽を通した彼の自我の表現である。又このような観点から言えばバッハの音楽でさえ、精神的音楽というよりはむしろ人間的な音楽である。中世にはまだ多くの作曲家が自分の作品に自身の名前を記さなかった。何故ならその頃には未だ、音楽というものは誰かが作るものではなく、空間に存在する共有のものであるという認識が残っていたからであり、作品に名前を記す欲求を持たない作曲家が少なからず存在したからである。それがバッハの時代になると、作品に名前を記すどころか、作品の旋律の中にまで自身の名前を刻印しようという欲求まで起こるのである。それが有名な「フーガの技法」に現れるB-A-C-Hのテーマである。



音楽要素の束縛からの解放 

さて19世紀になると作曲家たちは、人間の自我と結びついてしまった本質としての音楽をいかに解放し、再び精神的な源泉にまで高めることが出来るのかという課題を背負うことになる。例えそれが意識的であるか無意識の内であるのかはまた別の問題として…。それが実際に耳に聞こえる音楽としてこの世に姿を現したのは19世紀の末からである。


19世紀末の後期ロマン派の音楽では度々、それまである一定の規則に縛られていた和音進行の中に束縛されていた旋律がいかに自由に羽ばたこうとしているか、その葛藤を聴き取ることが出来る。逆に言い換えれば、作曲家たちは、旋律を束縛している和音の厚い壁をいかに取り除くことが出来るのか試みている。


ドビュッシーはその「旋律の解放」を5音階や全音階の導入によって試みた。1889年にパリで開催された万国博覧会でアジアやアフリカといった異国の音楽に巡り合ったフランスの作曲家が、自我に結びついた音楽を自然に還すことを5音階によって目指したことは、音楽に於ける東洋と西洋のつながりにおいて大きな意味を持っている。



ブダペストに展示されているバルトークの書斎



又ハンガリーではバルトークとコダーイが当時開発された大きな録音機を携えて東欧のみならず中近東や北アフリカ方面にまで足を延ばし民族音楽を収集して廻った。何故その様な努力をしたのかといえば、そうした民族音楽の中にこそ、ヨーロッパの音楽の移り変わりの中で失われてしまった音楽の本質的要素を見出すことが出来ると確信していたからであった。その様にして彼らは旋律のみならず、拍子やリズムを時間の束縛から解放し、それらを自らの作品の中に応用してゆく。

和音や旋律、そして拍子やリズムが束縛から解放されていく中で、その他の音楽要素をも束縛から解放しなければならないという衝動が20世紀前半に強まる。その結果シェーベルクやヴェーベルンという天才たちが、音程や単音までをもその機能から解放し、既に1910年代には現代音楽の基礎とも言える、自由存在としての音楽要素が出揃ったのである。


新しい機運の高まり

その時代は、何も音楽の世界だけではなく、全ての芸術衝動が、何か特別な力の作用を受けて開花していった。例えばミュンヘンではカンディンスキーやマルクといった画家たちが「青騎士」グループを結成し活発な活動を展開していた。ちなみにこの青騎士グループは当時はまだ神智学と呼ばれていたアントロポゾフィーの思想に大きな影響を受け、特にカンディンスキーは1907年から1908年にかけてのベルリンでのルドルフ・シュタイナーの講演を同胞のガブリエレ・ミュンター女史と共に聞いている。ちなみに青騎士グループ主催の展覧会にはシェーンベルクも画家として作品を出品していた。

さて、そうした芸術衝動に影響を及ぼしていた「特別な力」は、なにもヨーロッパに限って作用していたわけではない。日本でもこの時期、大きな民主主義運動「大正デモクラシー」が起こっている。そうした時代の大きな精神的な動きを背景としてアントロポゾフィー運動も地上に根をおろすこととなる。そして面白いことに、アントロポゾフィーの芸術衝動を語る時ミュンヘンという地を避けては通れないのであり、そのことはルドルフ・シュタイナーの音楽衝動にも意味を持っている。1907年のミュンヘン会議や1910年から1913年にかけてのミュンヘンに於ける神秘劇初演において音楽は必要不可欠であった。ただ残念なことにシュタイナーの周りには、当時を代表するような第一線で活躍する作曲家や音楽家が欠けていた。ちなみにちょうどこの時代には神秘劇ばかりではなく、世界中の音楽界で何か大きな神秘的作品を実現させようという気運が高まっており、その構想はスクリヤビン、シェーンベルク、そしてアメリカのチャールズ・アイヴスなどによって練られていた。


"Red and Blue Horses" 1912 Franz Marc (1880-1916)


シュタイナーと音楽との関わり

さてシュタイナー自身はそれまでどのように音楽と関わってきたのであろうか?彼はもともとベートーヴェンが好きではあったが、晩年の講演では異なるニュアンスを漂わせている。又当時話題の作曲家ワーグナーに関しては、彼の芸術的努力に関しての評価はしているものの、彼の音楽自体には否定的な見解を述べている。シュタイナー曰く、「音そのものが有する世界は、私にとって、真実の本質的側面の啓示である。が、ワーグナーの支持者たちが様々な方法で行ったように、音楽的なものがその音による構成を超えて何かもっと別のものを表現しようとする時、それは私にとって全く非音楽的なものなのである」。もしシュタイナーが古代ギリシャで演劇に利用されている音楽を聴いたのであるならば、同じような苦痛を訴えていたかも知れない。

シュタイナーはリヒャルト・シュトラウスやグスタフ・マーラーの演奏会にも出かけているが、彼にとって大きな意味を持ったのはアントン・ブルックナーとの出会いであろう。ブルックナーの講義を聴講していたシュタイナーは後に「ゲーテアヌムに於ける行事やコンサートでは、出来るだけアントロポゾフィーを通して活動している作曲家自らの作品もしくは新しい現代音楽を取り上げ、ブルックナー以前の作品には手を出さないように…」と言っている。何故ならシュタイナーはブルックナーの作品の中に、それまでの作曲家とは異なる、自己を超越した永遠なるものへの帰依を見出したからである。

ミュンヘン会議に前後して、シュタイナーの音楽的本質についての発言ないしは講演が少しずつ増してくる。その中で特徴付けられることは、音楽の精神的な源泉について、また人間学観点に於ける音楽の作用についての供述が増えたことである。ミュンヘン会議の室内装飾としてしつらえられた柱頭を「凍れる音楽」、そして後の第一ゲーテアヌムの建物を「解ける音楽」とシュタイナーが認識していたことからみても、彼にとっての音楽は単なる耳を通して聴くことの出来る音楽とは次元が異なっていることに気付かされる。シュタイナーは演奏家でも作曲家でもなかったが、建築や彫刻や色彩によってそこに音楽的要素を目に見える形で表現した。それは又、シュタイナーが創始した運動芸術・オイリュトミーの中で「目に見える歌」として次々に表現されていった。音楽オイリュトミーはシュタイナーの音楽衝動を理解する上での重要な鍵である。


即興化する芸術

ここで少し余談を挟むことを許されたい。日本では誰もが知るであろうフィギュアスケーターの高橋大輔氏が、2010年のバンクーバー・オリンピックでの銅メダル、そしてトリノの世界選手権での金メダル獲得後に語った新シーズンに向けての豊富の中で「5種類位の新しいダンスを学びたい」と述べていたが、これを知った時私は、彼がもし誰か優秀な教師の下で音楽オイリュトミーを学ぶのであれば、これに勝って彼の音楽的センスを体で表現することを習得出来る芸術は他に無いのに…と考えたものである。しかもオイリュトミーは単なる肉体の修練ではなく本来は精神の修練でもあるのだ。


シュタイナーによればオイリュトミーは将来、音楽や言葉を通して空間に生まれた動きを、オイリュトミストがその場で認識して直ぐに肉体的運動芸術として表現する方向へ発展してゆかねばならない。つまり、何日も時間をかけて完璧に練習したフォルムや動作を舞台上で表現するのではなく、即興的な表現が可能になるまでの長い年月をかけた精神と肉体の修練がオイリュトミストには要求されているのである。が、これは、音楽家にも当てはまることである。すなわち演奏家は将来、楽譜に縛られない自由で活き活きとした演奏をするように変わっていくだろうとシュタイナーは述べている。但しここで誤解してはならないのは、ここで語られている「自由」とは勝手気ままな意味での自由ではなく、空間に存在する音楽的な動きを受け入れる為に、自身の感情に囚われない自由な心を養うという意味での「自由」である。



音楽衝動の広がりと単音の中の旋律

未来へ向けたシュタイナーの音楽衝動はその後、スウェーデンの声楽家ヴェルベック女史による「元のままの声で…」とも翻訳すべき歌唱法アンカヴァーリング・ザ・ヴォイスの創始や、ウィーンのヴァイオリン製作者トマスティックによる新しい楽器の製造等において少しずつ地上に根をおろしてゆく。そしてシュタイナーの死後にはロター・ゲルトナーとエドムント・プラハトによって最初のライアーが製造され、それは今日、シュタイナー教育や治癒教育、音楽療法などで活用されている。


晩年のシュタイナーの音楽衝動は「単音の中の旋律」「惑星音階」「音楽を通してのキリスト衝動の享受」の3つのテーマに集約されるといっても間違いにはならないであろう。「人は将来、単音の中に旋律を認識するようになる」という表現をシュタイナーは大学講座を始めとした講演、音楽家・教師・司祭・オイリュトミストの前で口にしているが、このことは現在に至るまで再三討議されている。ただこの表現から察せられることは、シュタイナーが未来の音楽像や天体音楽のことを語る時、幾重にも重なる楽器のハーモニーや複雑な旋律の折り重ねから生まれる響きのようなものとは全く異なった、もっと簡素な音楽的要素が彼の中に清楚に鳴り響いていたのではないかということである。又シュタイナーはドビュッシーを、この「単音の中の旋律」という未来の音楽衝動を感じている作曲家だと述べている。その例として私は彼の前奏曲をゼミナールで演奏することが度々ある。但しシュタイナーは、音楽が絵画的になることは間違いだとして、ドビュッシーの作品の傾向に注意をも喚起している。



ミュンヘン・キリスト者共同体礼拝堂にあるオルガン


そのオルガンには惑星音階(Planetenskalen)のレジスター(音栓)が備わっている




惑星音階と既存の「偶然的」な音階

次の「惑星音階」だが、要するにこれは古代ギリシャで用いられていた音階のことである。私たちが普通慣れ親しんでいる音階は、大雑把に言って長2度と短2度という2つの音程の組み合わせによって構成されているが、この音程は純正な音程ではなく、平均律を可能にする為に人が手を加えた人工的な音程である。が、古代ギリシャの音階は7つの異なる2度音程により構成されている。このことは20世紀初期にロンドンの大英博物館で音楽考古学者として働いていたカテリーン・シュレージンガー女史の研究によって明らかにされるが、彼女はイギリスの神智学協会に所属していた為にルドルフ・シュタイナーとの出会いが生じた。残念ながら文献は存在しないが、遅くとも1921年までにシュタイナーはシュレージンガーが復元した古代ギリシャ音階を聴いてそれに感銘を受け、ゲーテアヌムの全ての楽器をその音階に調律するように指示をしていたはずである。それを理解できなかったクリスマス講演の参加者が1922年1月5日の質疑応答の場で勇気を持って「そんなことをして、それが本当に音楽の未来の為になるのか?」とシュタイナーに果敢に挑んでいる。


その答えの中でもシュタイナーはまず「単音の中の旋律」について述べ、その為に今存在する音階の構成を解き放し、その為に音程をもっと細かく詳細に体験することの必要性を語り、そうした努力を通して人は再び「精神的源泉に存在する音楽」への道を見出すのだと語っている。そしてシュレージンガーが再現した音階に聴き慣れることを通して、私たち人間が今所有する「偶然的な音階」を克服してゆかなければならないのだ、と述べている。シュタイナーは1922年から24年まで続けてイギリスを訪ねているが、そこで作曲家としてカテリーン・シュレージンガーと共に研究を重ねていたエルジー・ハミルトン女史に、第5神秘劇(未完)の為の音楽をこの「惑星音階」を用いて作曲することを依頼している。又この惑星音階の為に特別に考えられシュタイナーが承諾したオイリュトミーも存在する。このシュタイナーの音楽衝動については彼の死後、それを理解出来る者が殆どいなかった為、長い間ごく限られた音楽家の間で細々と研究が続けられてきたが、ここ数年来ドルナッハとミュンヘンを中心にこれをテーマとした講習会や公演などがかなり頻繁に催されるようになった。



キリスト衝動の受容

さて最後は「音楽を通してのキリスト衝動の享受」というテーマである。1924年、最後のイギリス旅行に於ける夏の講演でシュタイナーは、将来の人間にとって音楽がどのように重要な意味を持つのか…ということを、まるで遺言を残すかのように述べている。つまり、人類の歴史にとって最大の意味を持つキリストの受肉という事実を、これまでの人間は彫塑や絵画を通して体験したり表現したりしてきたが、これからの時代にはそれを音楽を通して体験してゆかなければならない…と述べているのである。更にアントロポゾフィーを通して音楽の為のインスピレーションを得ることの意味や、音程の順列とキリストの受肉との関係を具体的に述べ、再度ワーグナー、ベートーヴェン、ブルックナーについて簡単に触れている。

ちなみにここで簡単に注釈を入れておくが、アントロポゾフィーで「キリスト衝動」なるものが語られる時、それは「教会や宗派に限られた狭義な意味でのキリスト教」という次元を遥かに超えた、人間史における宇宙的な規模での大きな流れの中で発展する、人が人間となる為に自我を養う為の精神的な力の衝動を意味する。よって日本の仏教や神教の中にもキリスト衝動が存在し得るのである。


音楽界への影響

さて1925年3月のシュタイナーの早すぎる死は音楽にとっても不幸であった。何故なら彼はその夏に歌唱を中心内容とした連続講演会を予定していたからである。それにあたって音楽一般についての言及もなされたであろうことを想像することは容易である。

シュタイナーの芸術に対する思想は、彼の死後、多くの音楽家たちに影響を及ぼした。フルトヴェングラー、トスカニーニと並んで「三大巨匠」に挙げられている名指揮者ブルーノ・ワルターや、私の恩師クラウス・シルデ教授が師事したピアニストの一人である巨匠エドウィン・フィッシャーなども、アントロポゾフィーの影響を強く受けた音楽家として知られる。エドウィン・フィッシャーの弟子にはアルフレッド・ブレンデルやダニエル・バレンボイムなどが名を連ねるが、師の音楽哲学は無意識の内にでも弟子に受け継がれている筈である。シルデ教授が当時25歳の私のピアノレッスンを引き受けて下さった時、私はそのレッスンに集中する為にオイリュトミー協会での仕事を止めるべきかどうか彼に尋ねた。すると彼は「あなたが今しているアントロポゾフィーの仕事はとても重要なことだから、それを続けながら私のところへレッスンに通いなさい」と教示して下さった。その言葉が無かったら、今私がこの文章を書くことは無かったであろう。又シルデ教授はミュンヘン音楽大学の学長に就任中、オイリュトミーのワークショップをミュンヘン音楽大学に招待しようと考えたことさえある。皮肉なことにその当時のミュンヘン・オイリュトミー学校並びに公演グループの代表者の個人的な問題でこれは実現しなかったのだが…。


今日、作曲家のみならず多くの音楽家が様々な形でアントロポゾフィーに触れていることは間違いない。それどころか、シュタイナー学校出身の音楽家がどれだけいるのかを考えてみただけでもアントロポゾフィーが音楽に及ぼしている影響は計り知れない。私の自宅から車で10分のところにあるミュンヘン西のシュタイナー学校でも、父親が指揮者として生計を立てている家庭が少なくとも4世帯あり、1998年に亡くなったドイツの有名なバリトン歌手へルマン・プライの孫も現在同じ学校に通っている。また指揮者ロリン・マゼールが数年前ミュンヘンを拠点に活躍していた頃、彼の子供がミュンヘン東のシュタイナー学校に通っていたこともある。ちなみに彼は来シーズンから3年間、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を引き受けることになっている。

最近に至っては、第2次大戦中アウシュヴィッツ強制収容所のガス室で命を奪われたユダヤ人でアントロポゾーフの作曲家ヴィクトール・ウルマンが残したオペラ作品なども公演されるようになり、各地で話題を呼ぶようになった。又、シュタイナーが語っていた音程の細分化については、今日様々な作曲家が「4分の1音程」や「6分の1音程」などといったミクロ音程を作曲過程に取り入れることが普通になってきており、そうした作品が演奏されるコンサートに足を運ぶ聴衆も少しずつ増えてきている。



精神的要素を表現する音楽



筆者が演奏したアガスタ・リート・トーマス自筆譜のコピー



さてこの文章の最後に現代アメリカを代表する女流作曲家アガスタ・リート・トーマスについて触れておく。英語が堪能な方はwww.augustareadthomas.comで彼女についての情報を得ることが出来る。

1964年ニューヨーク生まれのこの天才作曲家は若い頃からバーンスタインやブーレーズなどにも認められ、現在では世界の著名オーケストラからの作曲の依頼が絶えず、最近では中国の天才ピアニストであるラン・ランの為にも曲を書いている。その彼女がまずはドルナッハのゲーテアヌム、そしてその約1年半後にボンのアラヌス芸術大学に招かれた時、光栄にも私は彼女のピアノ曲6曲をワークショップと演奏会で演奏するよう依頼を受けた。そのワークショップで彼女はどのように作曲するのか、その一例を披露した。彼女は机や楽器の前に座らず、立ったままで精神統一をして空間に存在する音楽の動きを感知する。そしてその動きを自分の魂に作用させ、それをまずは歌ったり踊りながらして作曲していくのである。彼女がしていることは正にオイリュトミーそのものである。だから彼女はオイリュトミーに対してもオープンで、オイリュトミー・スタディという曲まで作曲している。このような世界のトップレベルにある作曲家とアントロポゾフィーとの出会いは現代音楽にとっても少なからぬ意味を持つであろう。

彼女の作品を練習していくうちに私には2つの大きな本質との出会いがあった。そのひとつは精神界に存在する、この地上界とは全く異なった「時間」の流れを予感させる優れた作曲技法、そしてもうひとつは、彼女の作品の中に活きる「禅」の魂である。100年前にドビュッシーは5音階によって東洋と西洋を結んだが、リート・トーマスのような作曲家の中には既にもう、生まれながらにしてその魂の内奥に東洋の要素が染み付いているかのようである。演奏者が弾きたいから音を鳴らすのではなく、音が鳴りたいから演奏者がその道具になるのである。それが彼女の作品演奏において重要な鍵となる。

彼女に限らず今日の若い世代の作曲家たちの傾向として私が認識するのは、空間に生きるエーテル的要素を、音楽を触媒としていかに表現するか…と努力している姿勢である。考えながらの作曲ではなく、聴きながらの作曲である。

その様に、空間に存在する耳には聞こえぬ精神的なものを聴く努力をすることを通して、ひとりひとりの人間が霊的本質に至る道を見出すこと、そしてそれを音楽的な芸術を通して修練すること、それがルドルフ・シュタイナーが私たちに与えた課題なのである。それから今までの100年間、音楽界でも数々の試行錯誤が繰り返されてきた。その試みが、芸術家の自己の思考や感情を満たす為に表現されるのではなく、本質的なものを自己の思考や感情を通して表現しようと努力される時、初めて芸術が顕現する。だが、それは何も芸術に限ったことではなく、日常生活の全ての領域についても言えることなのである。溢れるばかりの物質や情報に取り囲まれて生活する現代の人間は、常に本質的なことから引き裂かれる危険性に脅かされている。それをルドルフ・シュタイナーは既に100年前にありありと認識していた。そうした現代社会の脅威に人類が埋没してしまわないようにする為に必要なのは、政治家や著名人等の大きな言葉ではなく、私たち人間ひとりひとりの日常生活における小さな行為なのである。そしてそれは1日に10分、歌を歌ったり楽器を演奏したりすることからでも始めることが出来るのである。




文:吉田和彦(音楽家・ミュンヘン在住)


※この文章は、2010年に発行されたShikoku Anthroposophie-Kreis 季刊誌『Tierkreis vol.17』に寄稿された文章を、WEB用に編集し直したものです。
このエントリーをはてなブックマークに追加
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

0 件のコメント :

コメントを投稿