2013年4月24日水曜日

美しいエーテル体(日本語訳)|@Das Goetheanum Nr.16 20.April 2013









文:竹下哲生
Text : Tetsuo Takeshita
ひとりの日本人が、自らの民族の礼儀作法について考察する。それは集団の“空気”のものであり、社会生活に水のような秩序を与える。

ぶつかるのか、曲げるのか

西洋の社会に於いて典型的な挨拶とは握手ですが、これは日本人である私にとっては頭突きのようなものです。そこでは相手に「ぶつかる」ことを通して他者の存在を意識する訳ですから、握手は宛ら「行儀の良い頭突き」なのです。対して東洋的な挨拶の典型はお辞儀ではないでしょうか。そこで重要なのは相手との距離であり、腰を曲げる角度であり、顔の向きであり・・・兎に角、土のエレメントに特有の「衝突」を見いだすことは出来ません。このように東洋的な人間関係は水のように流動的なもですから、他者に「ぶつかる」ことほど非礼なことは有りません。逆に地上的・固体的な要素が支配的な西洋の人間関係に於いては、誰にもぶつからない人間は誰からも気付かれない、と言うことが出来るでしょう。


2013年4月5日金曜日

コラム|アントロポゾフィー的視点から見た音楽の変遷とルドルフ・シュタイナーの音楽衝動|吉田和彦(音楽家・ミュンヘン在住)





芸術を通してアントロポゾフィーを深めることを望んだシュタイナーは音楽についても様々な見解を述べている。その一般常識を超えたシュタイナーの音楽観をミュンヘン在住の音楽家・吉田和彦氏がここに解り易く書き下ろす——。



ルドルフ・シュタイナーが当時音楽について語った時、それは音楽家のみを対象にしていた訳ではなく、殆どの場合、人類の誰もに当てはまる、未来へと向かう精神的衝動として語られている。その精神的衝動としての音楽を正しく理解し体験しようとする時、人が普通に有する既存の音楽概念だけを以ってしては、それが不可能であることにすぐ気付かされる筈である。しかしここで諦めてはいけない。この既存の概念を越え、その背後に存在する精神的本質に近づいていく為にアントロポゾフィーは存在するのであり、それを芸術を通して学び深めていくことによって、その本質は更に明らかなものとなる。