自然の息吹と共に生きる者は、春の芽吹きや咲き誇る花、夏の稔りに喜びを感じます。このように感情の中で自然を友とする者は、野山や海に出かけて太陽の下で自然を享受したいと願うでしょう。しかし、それは“強制の世界”の中に生きているということでもあります。何故なら“自然である”ということは、呼吸をしなければならない、喉が渇けば水を飲まなければならない、空腹を感じれば何かを食べなければならない、寒さを感じれば体を暖かくしなければならない・・・ということだからです。
そして秋が来て収穫の時期になると、自然は死へと向かいます。その時に人間の内面は、自然と共に死の世界へと引き摺り込まれる危険性を孕んでいます。この死の過程を克服するために人間は自らの宇宙的根源を想い起こし、内的な力で自由を獲得しなければなりません。それは精神的な存在として、自立的で自律的に成るということでもあります。そして人間は内的な動機と決断に於いて自由になり、自らの思考の中で見出したものの実現を、自らの意志に委ねるのです。それは自己意識という強い力を通して、人間が創造する文化の中へと作用するミカエルの、“乗り物”を作るということでもあるのです。