2012年9月30日日曜日

ダニエル・モロー氏 秋の特別講座『ミカエル祭 〜精神による克服の祝祭〜』9.30

ミカエル祭 〜精神による克服の祝祭〜  9.30 sun 10:00 - 16:30

自然の息吹と共に生きる者は、春の芽吹きや咲き誇る花、夏の稔りに喜びを感じます。このように感情の中で自然を友とする者は、野山や海に出かけて太陽の下で自然を享受したいと願うでしょう。しかし、それは“強制の世界”の中に生きているということでもあります。何故なら“自然である”ということは、呼吸をしなければならない、喉が渇けば水を飲まなければならない、空腹を感じれば何かを食べなければならない、寒さを感じれば体を暖かくしなければならない・・・ということだからです。

そして秋が来て収穫の時期になると、自然は死へと向かいます。その時に人間の内面は、自然と共に死の世界へと引き摺り込まれる危険性を孕んでいます。この死の過程を克服するために人間は自らの宇宙的根源を想い起こし、内的な力で自由を獲得しなければなりません。それは精神的な存在として、自立的で自律的に成るということでもあります。そして人間は内的な動機と決断に於いて自由になり、自らの思考の中で見出したものの実現を、自らの意志に委ねるのです。それは自己意識という強い力を通して、人間が創造する文化の中へと作用するミカエルの、“乗り物”を作るということでもあるのです。

2012年9月14日金曜日

10.31 R.Steiner 著『色彩の本質・色彩の秘密』を読む 5(月一回)



私たちの周囲にはいつも色彩があります。今、私たちがいる目の周りを見渡してみるだけでも、様々な色を知覚することができます。しかし、例えば自分の周りに彩色された色が、何故その色によって彩色されたのか、と問われれば、それに答えることは難しくなってきます。

眼を転じ、例えば青い空を眺めることができます。そこには白い雲があり、地表には緑の植物が生い茂っています。何故青なのか?と問いたくなります。何故雲の色は白でなければならなかったのか?他の色でも良かったのではないのか?と問いたくなります。しかし大概はそのような純粋な問を抱くのは子供のときだけで、大人になるにつれてそのような問は忘れ去られます。


2012年9月11日火曜日

【レポート】『Design Study 7.29』〜ファッション篇〜 から



衣服で自らを美しく着飾りたいと思う者は、自然とファッション雑誌を手にするのではないだろうか。何故なら芸術家でもない限り、純粋に内的な衝動から美を生み出すことは難しいからだ。こうして人間は芸術的な領域に踏み込むときに、七歳までの子どもと変わらない状況に陥る。詰まり、そこでは多かれ少なかれ「模範」に頼らざるを得ないのだ。

全く当然のことだが、ファッション雑誌を開くと大勢のモデルが様々な美しい服を着ている。そして自らを美しく着飾りたいと願う者は、そのようなモデル(=手本)の着熟しを「真似る」ことで自らも美しく成ろうとする。しかし一般にモデルと呼ばれる人間の手足は細く、そして長い。また体全体に対して顔が極めて小さいことも、多くのモデルに共通する特徴なのではないだろうか。仮に、このような人間が着ると美しい服装を、手足が短く顔の大きな人間がそっくりそのまま真似てしまうとどうだろうか。恐らく、その人からは「体に合わない小さな服を無理矢理に着ている」という印象を誰もが受けるだろう。そして、その体に合わない服を着ている本人は鏡を見て「自分はスタイルが良くない」と感じるのではないだろうか。

2012年9月9日日曜日

10.10 R.Steiner 著『四季の宇宙的イマジネーション』を読む(月一回)


四季の巡り、自然界の移り変わりと祝祭との関係性を見出すのが難しいのは、感覚的な事象の背後にある「イマジネーション」という現実を把握することが難しいからだと言えます。ルドルフ・シュタイナーの講義録:『四季の宇宙的なイマジネーション』の読書会では、目に見える自然の背後にある季節の本質について考えてみたいと思います。