四季の巡り、自然界の移り変わりと祝祭との関係性を見出すのが難しいのは、感覚的な事象の背後にある「イマジネーション」という現実を把握することが難しいからだと言えます。ルドルフ・シュタイナーの講義録:『四季の宇宙的なイマジネーション』の読書会では、目に見える自然の背後にある季節の本質について考えてみたいと思います。
2012年8月22日水曜日
9.5 日常にあるものの「質」の違いを知る。『Design Study』〜ファッション篇〜
我々が服を着るのは、強過ぎる日差しや寒さから体を守る為であり、同時に自らの存在を美しく見せるためでもあります。詰まり人間の同一の行為が、一方では実用的・衛生学的意味を持ち、他方では美的・芸術的な価値を持っているのです。このような誰もが知っている事実を前にルドルフ・シュタイナーは、服を着るという行為の「本来の目的」は後者の方だと述べました。詰まり服を着るということは、自らを美しく飾るということが一義的な問題であり、服を着ることで身体を保護するという「機能」は、飽くまでも副次的なものだと彼は考えたのです。
2012年8月7日火曜日
ダニエル・モロー氏 秋の特別講座『前夜祭 〜硫黄の燃焼プロセスを観察する〜』9.29
前夜祭 〜硫黄の燃焼プロセスを観察する〜 9.29 sat 19:00 - 20:00
ルドルフ・シュタイナーによると夏の人間は硫黄のように燃えており、それは大宇宙的な眼差しには煌めく蛍のようなのだという。これは夏に人間が有している「内的な危機」なのだが、それは宇宙から降り注ぐ鉄、8月の流星の鉄分によって毎年救済され克服されている。そして驚くべきことに、これと全く同じ過程の小宇宙的なものが、人間の血液の中で鉄分によって日常的に起きていることなのだ。このような「夏の人間」を内的に追体験するために、実際に硫黄を燃やし観察する時間を持ちたいと思う。
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